大正大学授業評価09

星のひとみ

星のひとみ

 NHKの『派遣のオスカル』というドラマをみた。なんか、ショムニハケンの品格を足して割ったみたいだが、台詞が時代がかって、オスカル!!って、パチンコを思い出してしまったりする。まあ、こういうのは、フジがつくったら、もうちょっと見やすいとは思うが、マンガ家と派遣のやりとりになんか夢があるのが、とても癒しになる、と同時に、今のところ特に結論づけているわけではないから、癒しというよりは、今の時代の救いのなさ、つまり鳩ぽっぽが例の論文でグローバライゼーションで人間かわっちまったぜ、みたいな現状を表現しているのかもしれない。
 みくしのニュースで、『パラレル・パラレル!「姫ちゃんのリボン」がリメイクで復活』って、現役キャバ嬢芸人の姫ちゃんどぇ〜〜す、かと思ったら、マンガであった。時東ぁみがメガネを外したということだが、個人的には鬼萎えであるな。
 大正大学から、授業評価の結果が送られてきた。これは特に非公表を義務づけられているわけではないので、公表しちゃいます。まず、まあ例によって、同じ規模の授業の平均というのおりは、だいぶ小さいレーダーチャートになっている。大学全体の平均値が4〜5弱で、FDに熱心にとり組まれているのだなぁ、と思うと同時に、申し訳なく思ったりもした。
 とりわけ低い点数と思われたのは、授業の目標提示とその目標実現のための努力、という項目である。最近東京大学でつくられた英作文や英単語の教材を見る機会があった。これで学べば実力がつくだろうな、と思ったし、私たちに要求されている努力というものの一端を垣間見た気がした。シラバスの書き方などについて、いろいろな要請があることの意味も、再確認した。まあしかし、当方はどうしても話しているうちに、研究を練り上げるというスタイルを確立してしまっていて、あまり明確な目標は示しにくい。
 少し考えてみたのだが、論文や著作を書く現場感覚のようなものを伝えるという、目標の示し方もある。しかし、身につく力量が科目名に即して明示されなくてはならない。概論や学史のようなタイプの講義はこれがしやすい。しかし、メディアと社会という講義で、あまりに教科書的なことをする意味があるのか、などと思ってしまう。10年くらい前までは、自説を練り上げる講義が認められていたし、期待もされていた。母校や東洋大の講義をさせてもらって、それを本にまとめていったことも記憶に新しい。「この講義は、自説を述べますか?」と聞かれて、「いやテキストに沿って解説します」と答えたら、「すみませんが、それならば受講をやめます」などというやりとりも、教室であったりした。
 あと低いのは、教員とのコミュニケーションである。けっこう質問には答えたつもりだった。授業後話し込んだこともあったし。ただ、質問を喚起しなかったことも事実だろう。授業に対する意欲や熱意が感じられたというのも低い方だろう。
 逆に点数が高い項目は、どこの大学も似たりよったりだが、出席率、受講態度などがよいという項目である。受講態度はこちらも満足している。夜間の講義なのに、欠講ちゃんと出てきて、聴いている。私語も少ない。出席率は、まあ、抜群というわけではないと思う。ただ、他校に比べれば、率は高いかもしれない。
 意外だったのは、教材や機具である。実はこれは厳しい評価を受けるかと思った。ネットの動画などを見るときに、非常に不具合が多く、十分な教材提示ができないで、大幅にカリキュラムを変更せざるを得なかったのである。まあそれでも、視聴覚教材への期待は高いことは再確認された。
 フリーアンサーおり。「同じことを何回も言っているような気がしたので、だんだん聞く気がそがれていきましたが、聞いていたらおもしろいこともありましたが・・・」。聞いていたら云々はフォローなんだろうね。まあ、私は若い頃から同じことを何度も言って、自分ウケするということは、厳しく批判されてまいりました。
 コーラに触れている人が多かった。そんなに飲まなくなったと思うのだが。「コーラはほどほどに」って、ほどほどだったと思う。「影響で自分でもコーラが好きになりました」。わははははは。「飲み物を飲んだ後に出す音が嫌」。これは、授業中に話したネタだと思うけど。
 到達目標について、わからないという意見もいただいた。ただ、ロック中心なのか、アニメ中心なのかわからない、というのは、ちょっと心外。これはちゃんと説明したはず。私は、ロックもアニメも映画もなにもかも詳しくない。詳しくないが、そこに通底するものを説明したい、と言ったはずなんだけどね。一言で言えば、「チープ&クール」。
 で、ktkr「ぐだぐだ感がよかった」。orz。わかんないのが、「先生、トイレにいかなくても大丈夫ですよ」。これは、究極のガマンをしていたときのことだったか、よく覚えていない。