ブログで講義

 うちの大学には二つ学食がある。一つは学生ホールの食堂だが、それとは別に2号館の上にもある。こっちの方が美味いというのが学生の評判だ。ビーワンという名前だけ残っているが、経営もかわり、場所も地下一階ではなくなっている。学生の話では、カレーが美味いというのと、丼があって時々あの三色丼がでるとか、唐揚げがあたたかいとか、サラダバーがあるとか、おでんがあるとか、うどんが関東風だとか、そういえば蕎麦もあるとか、そういう情報。でもって、最近はたまに食べに行く。時間を考えると、やはりこっちのほうが混んでいるかんじ。今日も行ったが、いつもいっていなかったので、なんか別の大学の学食みたいなかんじがまだ抜けない。
 HOT FANTASY ODAIBA 2008-2009というののテレビをいまやっている。柳原可奈子とツインでウガンダみたいなのが、セーラー服着て絡んでいるけど、なかなか面白かった。テレビ局の制作費が鬼削られて、ゴールデンもなにもかも、深夜番組みたいになってしまえばいいのに。
 今日は卒論提出最終日である。みんなざわざわして、慌ただしい。気がついた範囲で、相談にのったり、手伝ったりする。昼頃、震えながらやばいッスと社研に来た人がいた。綴じたのがはずれてしまったらしい。このままだとアウツである。まだ昼じゃないか。ガクガクブルブルという時間ではない。そんなことも思うが、それが最終日というものである。そして、早めに不安になって、このように対処する人は、失敗は少ないと思う。不安感が強いことは、上手く生かせば強力な武器となる。不安感は武器である。不安神経症で、長いこと苦しみ、そこそこ寛解した私の実感である。
 2年ゼミの選考結果が発表になった。うちのゼミは一番少なくて10人の応募者だった。なんかよく傾向性がわからない。概論のうしろのほうで五月蠅いやつらばっかとか、遅れてくるやつらばっかとか、だいたいの傾向性はあるはずなのだが、読めない。まあただ、少なかったということなわけだから、概論をみて、引いた人が多かったのかなぁ、とも思う。ちょっとぐだぐだにやりすぎたかと思うが、すべては授業評価によってはっきりするのではないかと思う。
 授業評価といえば、今日から3回比較文化の講義があって、社会人の人たちも交えた授業をする。社会人の人たちの前で話すのは、何年ぶりだろうか。たぶん10年以上話していないはずだ。岡大の時は市民講座とか、夜間部とかあって、経験はあるのだが、東京では一度だけやって、忘れていて30分以上遅刻してさんざんだった。今日は、ちゃんと行って準備した。
 話題がブログだったので、ブログで教材を提示するかたちにした。意図が伝わったかは不明だ。パワポなんかとちがい、リズミカルな教材提示はできない。上手くリンクを貼っておけば、グラフなんかはけっこう同じように出せるんじゃないかと思う。しかも、ツベったり、ニコったりもできる。って、普通そんなこと必要ないのかね??まあともかく、これは天津木村風にいえば、「あると思います」けどね。
 一人一人がDSiみたいな授業端末もてば、提示されたブログに即座にコメントつけまくって、炎上させる、のは論外として、w 質問とか出来るわけだし、ニコ動みたいにざくざくコメント入れたりして、それこそ双方向・・・って、収集つかなくなりそうな気もするけど、誰かが上手なグランドデザインを考えれば、面白いことがいろいろ出来ると思う。そのうち、小学校では携帯かDSiを必携になったら、笑えますけどね。
 他方で勉強する立場にたって考えると、なんか違うという気もする。受験勉強でも、大学での勉強でも、本を読み、演習問題をとき、授業の説明を聞きながら、そこから刺激を受けて、思考をめぐらせる。その時双方向のやりとりは、ゼミでの議論ほどに効果があるんだろうか。この辺はなかなか疑問である。しばらくネットにつなげる教室をあててもらって、本務校の概論などでもこういう試みを試行錯誤してみようか、などと思ったりもした。
 で、授業ですが、基本的な骨格は、まいみくのにのじさんの論文を下敷きにして、ウェブ日記と知人ブログと他人ブログを比較するかんじ。あいかわらずネタ的にはなかなか新鮮なネタを仕込んだつもりだが、学問的な錬成という点で、どこまで発見のあるようなものだったかとか、論理の太さとか、そういう点ではいささか心許ない。