教案づくりに四苦八苦

 あったく、SPばっかりのテレビ週間は退屈だよな、再放送ワイルドに編集したやつとか、夜だって、コンバットは毎日見レねぇし、へんなのやっているし、まあ、実験的なのはたまに面白いわけだけど、あまりないしな、フジなんか、毎日24やっていて、なあにが、オレはジャック・バウアーだとか思いつつ、先週ちょこっと見たら、やっぱこれやばいっすよ、ずっと見てます。見逃さない。仕事が進まない。なんともにんともだ。ともかくすごく面白い。テロとの戦いとか、なんか、ブッシュの澄んだ眼がちらつくけど、面白いものは面白いわけです。これで、レンタルしはじめるととめどないよね。それだけはやめておこうと思う。
 今日は他のところは休日なんでしょうが、うちの学校は授業がありました。月曜日1時間目の授業でも、欠席者はほとんどいない。現代国語の問題みたいなのをつくっていって、その場でやらせて、板書を使って少しずつ解説というもの。教材は実は、オープンキャンパスでも使ったある卒論の理論構成部。居場所ということばを、藤竹暁氏の論考と照らし合わせ、さらに社会学の概念と照らし合わせながら術語化し、公共性と居場所みたいな立論するところ。こういう手頃な文章を用いて、A4見開きに一問みたいなくらいにまとめていけば、いい教案ができるような気もする。日本語だけではなく、英語の購読なんかも採り入れることはできる。しかし、学生は安心できるテキストを好む。いろいろあげて選んでもらったら、圧倒的多数で『Do!ソシオロジー』になった。前期も使ったので、細かい問題集をつくってみようかと思う。というか、教科書編と問題編(よく数学であるやつ=定理と証明で体系的に組み上げたテキストと、演習問題あつめたやつ)みたいなのをこれからのテキストはつくるべきじゃないかな。経済学は穴埋め本とかあるし。
 そういうものをつくるには、実は万巻の書を読んでいなければならないんだろうね。昔、英語の教職をとった時のことを思い出す。山川喜久男氏の英語第三とかゆう講義で、準動詞の用法みたいな先生の得意なものを中心に文法の説明をするものだった。古代中世英語から現代英語までを読んで集めた文例を用いて説明するプリントを配布して、用法の形成みたいなのを解説するものだった。学年末の課題は総括的な問題を文例をあげて説明するレポート。その文例は、自分で読んだ英語の本からとること、みたいな課題だった。なるほど!!と思った。英語の教師になるような人は、平生から英語の本をたくさん読んで、サンプルをカード化するようなことが必要なんだな、という教えを感じ取った。そのことを強調し、サンプリングのほうは趣向性を決めて社会学的な本に限定し、端折って、労力を軽減したが、ともかく英語の教師なんてなるのはすごいたいへんだと思ったし、大学の教養の英語の講義みたいなのをするのも、研究の一環なんだなぁと妙に感心した覚えがある。なかなかよく聴けた授業だと思う。
 社会学もそうなんだな。古典や調査やいろいろなものに目を通して、はじめていい教案が創れるんだろう。即興でネタばかり話すと、肝心な講義内容が打ち消されてしまう。山川喜久男氏は古武士のような人で、実にシビアな授業で、ニコリともしない。評価も厳しい。ベストセラーになった辞典の編者だし、受講してみたいのだが、怖いから、教職の必修じゃなきゃとらないようなものだった。だが、受講してみて授業の仕方みたいなことを、ガッツリ教わったような気がする。こういう先生ではあるが、ごくたまに冗談を言われることがあり、それは味わい深いものだった。こんなふうに、30年くらいたってふと思い出すような授業をいつかしてみたいものである。