卒論出させ終わって思うこと

 出てきた卒論をパラパラとめくっている。製本されてみると、なんかよく見えてくるから不思議なものである。あとがきをみたんだが、ひとりもよけいなことが書いてないのが非常に好感が持てる。よけいなことというのは、おとーさん、おかーさんありがとうとか、この論文を書くにあたりゼミ指導師匠の伊奈にはすげぇ世話になったよ、みたいなやつである。卒論でそういうことって書かない方がいいと、うちのゼミの場合は指導している。ずっと前に書いているやつがいて、う゛ぁかぢゃねぇのみたいなかんじで、けちょんけちょんにゆったら、マジギレして困ったことがあった。本当に感謝しているんだから、というので、こんな出来でそんなこと言われたくねぇよ、と言ったら、突然それもそうだと、納得していたのには笑いました。
 今年発見したのは、きちんと本を読める人、コクのある抜き書きのできる人は、時間をかければ、かならずいいものが書けるということだ。その辺でスピードの差はあるけれども、読める人は書けると思う。ということは、抜き書きを徹底的にさせてみたらどうだろうというアイディアを次は試してみたい。
 もうひとつは、報告や口頭陳述をさせてみて、テーマの文脈を口でたどれる人、抜き書きを横に置きながら、そこから文脈を組み立てられる人は、それなりに論理構成ができるひとだということ。そこで、水を向ければ、というかテンプレートみたいな、デフォの構成でナビればそれなりに論理展開もできるということだ。
 『教養としての大学受験国語』の著者が言っている「センを引く」という書くための骨法=読むための骨法は、イニシエーションとして「センを引く、センを引く、センを引くセンを引く、・・・」とくりかえし、修行させておく。でもって適当に話していると、まあレビューの原型のようなものはできあがる。
 とまあ、このあたりまでやれば、あとは作業計画はかなり単純に立つとは思う。論文の目玉つくって、分厚く作業して、んでもって落としどころを決めて、そこからそこに落とす「技」のかけ具合みたいなものをどうするか決める。それを仮説、概念へと錬成する。んでもって、それを焼き鳥の串みたいにして、書いたものを刺し刺しすれば、いっちょあがりみたいな感じだが、言うほど簡単ではない作業だと思う。
 なにからはじめればいいのか?まあ、一つは4年間の集大成なんだから、1年からとった授業を思い出しつつ、よく書けた、いい成績がもらえた、楽勝ということじゃなく、きっとよく評価されたはずだ、という手応えのあった答案がなぜよかったのかみたいなことをじっくり考える。次にゼミの報告やレポート。調査実習の報告書。その他いろいろを思い浮かべて、考えてみたらよいと思う。もうひとつは、これはと思う本を、なぜ面白いと思ったかなどを考えながら、反芻してみたらいいんじゃないかと思う。
 みたいなことを言っていたら、そんなかったるいことやってられるかみたいに、努力しない自分をやたら売り込むやつがいる。いつか本気で・・・それは、ダイエットは明日から、というのと何らかわらないと思う。w
 やっつけ仕事で、サクッと仕上げたなかで、腕力のある連中は、自分より数段できるやつにみえてくることがある。最後の最後で、面白くなってきて、私が「間に合えばいい」くらいの気持ちでした安易な添削やコメントに文句をつけてくる。う!と黙り込むことも、何回もあった。自信喪失したら、作田啓一先生の本などを読む。野太い強靱な論理とそしてそこに漂うエレガンスみたいなものをカンジながら味読すると、かなり自信喪失が解きほぐされる感じになる。