悲喜こもごも

 ゼミの選考みたいなものは、ここ10年ばかりしたことがない。やる人はたいへんだ。昔、一度だけやったときには、地区別に分けて全国からまんべんなくとるようにした。とは言え、断然東京近辺が多いのだから、地方に大甘だったことになる。パリやロンドンやニューヨークに通じた人間にはなれそうもないので、日本の地方都市に通じた人間になりたいと思っていたし、実際地方都市の研究をしていたからだ。
 母校のあるゼミで、ゼミ選考試験があり、出た問題が「ケインズを英語で書け」これ一題。なかなかのシンプル化だと思うのだが、ケインズというのが、時代をあらわしているなぁと思う。今だったら、誰になるのだろうか。時代を代表するという以上に、書きにくくないとダメだと思う。
 まあゼミなんか、結局どこへ行っても同じみたいなことはあり、クジでやればイイと思うのだが、最近の学生さんはそれだと怒るらしい。他大では面接や試験などということも聞く。また、ゼミの先輩たちが面接をするというようなところもあるらしい。うちではあまり聞いたことがない。他の先生方は、書類などで判断されているようだ。
 それぞれに一興だろう。どこへ行ってもなるようにしかならない。実は、私は南博という先生につきたくて、志望大学を決めた。普通こういう場合程度を下げてでもということだろうが、私の場合は程度をあげてでもということだというのは何度も話したことだ。学生にこの話をして、「浪人するつもりだったから」と言ったら、「えー、現役だったの?三浪はしていると思った」と言われた。光栄なことである。ともかく志望大学を決めたのだが、二年ゼミに南博ゼミはあったのだが、とらなかった。テキストが気に入らなかったからである。で、三年・・・と思ったら、南博先生は退官でゼミはとらないという。後任の先生(恩師となる佐藤毅先生)は着任されていない。
 私と同じ学年の連中は、みんな同じことで、みんななんのためにここに来たのだというカンジだった。そのなかには、あえてきたみたいなすごいやつもいた。そいつらは、すごいもんで、後任の佐藤毅先生をひっつかまえて、自主ゼミをやらせていた。このグループのバイタリティはスゴイもので、保健センターにいた精神科医の先生とも自主ゼミをしていて、学部長に意見を言うみたいなかたちで、社会心理学第三という講義とゼミが出来、博士課程まで学べるようになった。そういうこともあり、私は自治会活動みたいなことにも信頼感をもつようになった。某だめんずマンガ家のゼミはこうしてできたのである。要するに、やるやつはやる。他大にいってでも学ぶということである。
 私はというと、なんか哲学もやってみたくなり、そっちのゼミに行き、留年して、ようやく大学院で佐藤先生についた。この哲学のゼミは四人いたのだが、全員留年するというすごいゼミで、私は一留だったが、二留もごろごろいた。ちょっとだけ言い訳じみたことを言えば、あまり遊んでいたわけでもない。週に五つくらい自主ゼミをして、ゼミ別に合宿をし、さらにドイツ語と英語のゼミをとり、他の授業にはまったく出ないというカンジだったのだ。授業に出ると「こんなところにいないで勉強しろ」と怒る先生までいた時代だから、時代が違うのである。そんなたくさんゼミをしてもあまり力はつかないのだろうが、なんか当時はムキになってやっていた。無駄も多かったし、あまりにバカだった。洋書を丸善や北沢や紀伊国屋で買うというのを覚えたのは進学したあとで、洋書と言えば、大学通りの銀杏書房くらいしか知らなかった。伝説のオババ(国分寺のオババとは異なる国立のオババ)に一人前と認められて、名前を覚えられたのは博士課程に進学してからのことである。
 そんなわけで、留年もしたし、夕方まで寝ていたことも事実だが、ものすごく勉強したことも事実なのだ。そんな立場からすると、テキストがどうだとか、ガキ臭いお子様ランチ談義にはつきあっていられねぇよ、と言いたいし、いっそゼミ選考などは、志望書ぶちまけて、決めればイイくらいに思うのだが、そんなことをしたら、少なくとも2chで炎上するくらいのことにはなるのかもしれない。私の友人たちのなかで、寮で遊んでばかりいたやつらが、四年になって、せっかく経済の大学に来たんだからと、ブレーン連れてきて、経済書の勉強会をしていた。法学とかまったく関係ないやつも多くいた。そういうのこそ勉強だと思ってしまうのは、今となっては大馬鹿扱いしかされない、母校のいかんともしがたい授業文化のなせる技だったかもしれない。そんな理屈を、日本一出席率のイイ大学と言われた大学でいっても仕方ないだろう。
 いずれにしても学部の勉強は、基礎をつくるみたいなことだから、なにを勉強してもいいんじゃないだろうかくらいに思う。学部の頃から、社会学をやっていれば、たぶんもっと早く査読誌に論文を書けたと思うけど、回り道も一興だろうと思うし。
 ゼミには相性があると思っていた。テキストや説明書きを最初から丁寧に読む椰子はこない方がいいなどといっていた時代もある。だけど、水と油のような組みあわせもまた一興だし、いろんなのに対応できるようにするのも勉強のうちだろう。私にはどーでもいいことだし、かんけーねぇことだけど、そうでもない人がいるかもしれないし、この時期ちょっと喋ってみたくなったということ。
 ちょっと前、大学院に行かせるのが殺人だとか言われていなかった頃、英語の本の読書会をしていた。所属ゼミもなく、他ゼミからもたくさん来ていた。他ゼミどころか、他大学からも来ていた。多いときは週3回やって、メシまで喰わしていた。本業のゼミそっちのけだったかもしれないくらいにやっていた。今はそういう時代ですらなくなっているかもしれない。卒業生がゼミをやりたいというので、おお!ついに「背広ゼミ」ちっくなものができるかと思ったら、一回だけとかこきやがった。つまり、気分を味わう。それじゃあね。しかし、そろそろ頭を切り換えて、ちゃんと勉強させることが教員に求められる時代になってきたんだろうね。そろそろどころの騒ぎではない、と友人は言うのだが。