号泣とうそ泣き 

 日テレの土曜深夜にカイブツというわけわかめな番組があり、要するになんかけっこうすごいことができる人が出てきて、やってみて、それがかなり寒かったり、痛かったりするのを、きたろうと大竹一樹フルボッコいじりまくるという趣向で、なんつぅか、笑っていいとものワンコーナーを引き延ばしたみたいなものなのだが、「栞と紙魚子の怪奇事件簿」を見ることが多く、そのあとにみてしまうことが多い。そこに地味ながらキャラメンが登場していて、大正大学の吉場達工という椰子で、元々は剣玉王子だったんだが、これが毎週痛い芸を考えてきて、チャレンジって、大竹「そういう番組ぢゃねぇから」といいつつ、こいつのだだすべりと、ささやかな反抗心と自己主張がなかなか興趣あふるるものがあり、この時間のこの番組の中では、つまりはいい加減何やってもぐだぐだ面白く感じてしまうような時間帯であることもあり、かなり面白く思える。
 閑話休題。卒業式のあとは、恒例の卒業パーティで、今年はパークハイアットだった。鬼高いホテルであり、ここで誕生日ディナーをしてもらっておーじまんしていた学生が昔いたなぁなどと思い出す。けっこう高かったんだと思うが、出席率はよく、時代の流れを感じる。うちのゼミはけっこう出席率の悪い部類だったようだ。それでもけっこう来ていたけど。来なかった人々は、テキトーに来ないというカンジで、なかには卒業式自体、かったるいと来なかったのがいて、お!やるぢゃんみたいなかんじではあった。こつこつパン工場でバイトしているやつで、この日も工場でパンにピーナッツバターかなんかを塗る作業を黙々夜勤でこなしているはずで、なかなかの苦学生だとも思うが、まあ学費を稼いでいるわけでもないらしい。
 パーティのメイン企画は、学生がゼミごとにメッセージを言い、それに教員がリプライするという形式は、今までにない企画で、なかなか興味深かった。一生懸命やって、調査報告集をつくったゼミなどは、感慨も深いようで、号泣してしまうこともあったのだが、年々号泣率が増えているような気がする。
 うちのゼミメンは、もちろん号泣しなかった。というか、それほどの感慨や達成感が、走馬燈のように・・・ということはないんじゃないかと思う。だいたい卒論面接でうそ泣きするような椰子らなのである。で、次のようなコメントをいただいた。「最初のゼミで、オレには愛はないよと師は言った。たしかに愛はなかった。しかし情はあった」。オレはそんなこと言ったっけ?と思ったが、まあ言ったかもしれないし、ゴロがいいだけかもしれない。なんかいんちきくせぇというか、上手いこと言っているようなのだが、よく考えてみると、情はない=冷酷なまでに厳しいが、そこには愛があった、というのが、まあ普通のほめ言葉なわけで、それをひっくりかえしてみたら、要は楽勝だけど、学ぶことはねぇっつぅことだろ。相当能力の高い人が集まっていた。強引に卒論に集中させていれば、すごいものを書いたかもしれない。それができなかったのは、教師の責任もあるが、やはり学生はやることが多すぎる。特に就職に振り回されすぎてはいないか?と思うのだが。
 色紙とか、恥ずかしいものわたすんぢゃねぇよ、とゆっておいたら、たしかに色紙はなかったのだが、ビキニの海パンに寄せ書きをしてくださった。まったく自意識のない寄せ書きぶりというか、あるいはまた作意なのかもしれないが、剛胆なゼミ生の気性がわかったようなきがした。はいてくれと言うので、その場ではきそうになったが、それは勘違いで、つかってくれと言うことだけど、こんなスキャンティなものは、ちょっとやばいと思う。つーか、寄せ書きしてあんじゃん。しかし、その場ではいたら、スーパージャイアンツかタヌでちょっとやばかったと思う。実は、リクエストに応えて、ちょっとかぶって写真撮影した。記者会見のようにカメラのフラッシュが光って笑った。というか、他の先生方にあとで怒られるかもしれない。まあリクエストにこたえてだし。写真は鬼面白いのだが、さすがにここにアップするのは自粛しておきたい。
 二次会は年度によっては、オールとかすごいことになることもあるのだが、この学年は大人であって、サクッとしているので、帰る人は帰り、その他のメンツで、パーティーを欠席した人も交えて、最上階の喫茶でカルクお茶を飲んだくらいだが、夜はここは真っ暗でムード証明夜景がきれいというすごい状況で、カップルな人たちがわんさかいてぶっとんだ。私はこのような空間とは無縁に生きてきたので、かなり驚いた。世の中にはこういう場所もあるんだな。