南田勝也・辻泉編著『文化社会学の視座』

 三年次の演習はここ数年「社会心理と文化の社会学」という授業題名でやっている。社会心理の社会学のほうは、『自己と他者の社会学』(有斐閣)を基本テーブルとして、青少年研究会他の調査モノグラフなどをテキストにして行けば、それなりに教案を組むことができる。問題は文化の社会学のほうで、有斐閣アルマの姉妹編で『文化の社会学』というのがあって、吉見俊哉佐藤健二ら同世代の研究を牽引してきた人がガッツリ自説を展開していて、一読者としてはよいのだが、テキストで使うとすると、というか実際使ってみたわけなのだが、ちょっと各論が「島宇宙」なかんじがしないこともない。どないしたもんだろうと、思っていたところに一つのテキストが届いた。南田さん、辻泉さん、辻大介さん、松谷さんなど、まいみくの人たち、非常勤でお世話になっている阿部さん、電撃ネット社会学のちゃありぃさんらが執筆したものである。ご執筆の皆々様ありがとうございました。

文化社会学の視座―のめりこむメディア文化とそこにある日常の文化

文化社会学の視座―のめりこむメディア文化とそこにある日常の文化

帯より

 メディアと日常文化の「とらえ方」。現代文化を実証的・経験的にとらえるための案内の書。

目次

序章 文化社会学の視座 編者
第?部 文化のとらえ方
第1章 メディアと集いの文化への視座
 ――経験的/批判的アプローチからマルチメソッドアプローチへ 辻泉
第2章 表現文化への視座
 ――文化作品は人に何を与え、人と人とをどうつなぐのか 南田勝也
第3章 世代や世相の文化への視座
 ――量的アプローチと質的アプローチ 辻大介
第4章 文化の変遷への視座
 ――構築主義と言説分析 岡本朝也
第?部 のめりこむメディア文化
第5章 なぜケータイにはまるのか
 ――メールコミュニケーションの社会学 鈴木謙介
第6章 テレビ視聴のスタイルはどのように変化したか
 ――能動的受け手とツッコミの変質 名部圭一
第7章 なぜキャラクターに「萌える」のか
 ――ポストモダンの文化社会学 木島由晶
第8章 なぜロックフェスティバルに集うのか
 ――音楽を媒介にしたコミュニケーション 永井純一
第?部 そこにある日常の文化
第9章 現代の親子関係とはいかなるものか
 ――仲良し母娘とその社会的背景 中西泰子
第10章 地方に生きるとはいかなることか
 ――現実は「豊か」か「貧しい」か 藤井尚
第11章 差異化コミュニケーションはどこへ向かうか
 ――ファッション誌読者欄の分析を通して 松谷創一郎
第12章 若年労働問題では何が問われているのか
 ――「マニュアル」「資格」という専門性の二つの位相 阿部真大
第13章 「日本人」であるとはいかなることか
 ――ISSP2003調査に見る日本のナショナル・アイデンティティの現在 田辺俊介
あとがき 文化社会学の魅力 編者

 まだめくった程度だが、帯と目次からだいたいの内容は推察される。印象批評や理論のあてはめに終始しがちなこの分野の研究にあって、理論的知見に基づいて、着実に貴重な実証的成果を発表し続けてきた青少年研究会の人たちが中心となって編まれた本であることは一目瞭然である。そこに「宮台真司的なもの」「東京大学社会情報研究所的なもの」などがとけあい、バランスのいいテキストになっている。一見した範囲では使いやすそうだと思った。
 すぐさまゼミの議論や歴代の卒論のタイトルを思い浮かべ比較してみると、かなり多くが重なりあっていることが確認される。すぐにテキスト指定しようかなぁなどと思いはじめている。
 これは外交辞令ではなく、それなりにあら探しをしたあとの暫定的決意である。あら探しとは何かといえば、それぞれの方法への愛、研究対象への愛をならべただけの本ではないかという一点である。かなり底意地悪くチェックした。
 まず各論的各章を見ると、それぞれの章は、さっくりと気の利いた切り口を示していることが確認される。思い入れたっぷりに狭い空間に思いの丈を詰め込んだような鬱陶しいものではない。ジャーゴンや作品との戯れはないとは言えないが、独りよがりに走ることなく、それなりに制御されたものになっている。
 他方で、総論の各章では、文化の定義と文化研究の方法をめぐるさまざまな立場が整理され、「マルチ・メソッド」が提起されている。マルチとか、ハイブリッドとか、まぜまぜとか、つかいわけとかゆう言い方と対峙したとき反射的にチェックするのは、その実質的内容が論理的に示されているかどうかが、「争点ノムコウ」はどのように論じられているか、といったことだろう。副題と3部立ての構成に、編者の意図がそれなりに見えているように思われた。
 実質的内容は熟読してみないとわからない。しかし、テキストとしてはこれで十分なような気もする。総論部も読みやすいので使いやすいと思う。採用するかどうかはわからないが、w 読んでみて、現代社会論として何が提起されているかをじっくり検討してみたいと思う。既存の理論や社会論、あるいは研究プロジェクトの結論のなぞりかえしなのか、それとも新しい社会論がそこに見えてくるのか、読者としてはそういう「表現の大きさ」のようなものに期待してしまう。そんなことはどーでもいいのかもしれないわけだが。