小谷敏『子どもたちは変わったか』

 スタ丼を食ったら、さすがに胃が重い。近くの本屋に行ったら、土井隆義さんの『友だち地獄』という新書本が出ていたのでさっそく購入し、学生たちにおすすめメールを送った。3年ゼミは、まずこれからはじめようと思う。と同時に、いろいろ持っていた構想が色あせて見えてきた。しかしそれもまた刺激というものだろう。大学に来て、家の郵便受けにあった献本の包みをあけたら、加齢御飯さんの新著だった。白血病から生還されて初めての単著である。割に前から執筆中とうかがっていた。水戸黄門の事件捜査と同じで、吟味に吟味を重ねて、印籠をシュタッと出したカンジである。前に献本したときに、白血病の無菌室から意識朦朧の筆で、「おもしろカッたぁ〜〜、ショワッチ」とバルタン星人の絵はがきをくださったことは何度も話した。お礼状を書くために、バルタン星人の絵はがきを探さなくっちゃ。

子どもたちは変わったか (SEKAISHISO SEMINAR)

子どもたちは変わったか (SEKAISHISO SEMINAR)

内容

 どうして日本は「赤ん坊の生まれない国」に成り果ててしまったのか?小谷教授が過激な筆致で、世間にのさばる根拠なき偏見を一刀両断。「専業子ども」をめぐる世代間関係を描き出す、社会学的物語。

目次

1 神なき国の子どもの誕生―Ph.アリエスと日本の近現代
2 「専業子ども」と「教育ママ」―高度経済成長期における幼児期と社会
3 はじまりは、やはり鉄腕アトム―マンガ文化の社会学
4 永遠の子どもの方へ―「ナルシシズムの時代」とオタク文化の繚乱
5 漂流する家族・「破産される」学校―ポスト高度経済成長期の子ども世界
6 「禁じられた遊び」―いじめ花咲く天皇の逝く国で
7 仮面ライダーたちの変貌―ネオテニーの新世紀へ
8 妄想の共同体―「ユースフォビア」の起源と流行
9 オトナ帝国への逆襲―赤ん坊の生まれない国
10 人はパンのみにて生くるにあらず―教育改革と学力論議の徹底批判

著者紹介

 小谷敏[コタニサトシ]。1956年鳥取市に生まれる。1985年中央大学大学院博士後期課程満期退学。現在、大妻女子大学人間関係学部教授。専攻は現代文化論(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4790713148.html

 小谷さんは、熱い人だ。ブログを見てもひしひしと伝わってくる。闘病や地方都市、あるいはご自分の恋愛や結婚について、熱く語っているのが印象的だ。都の西北大学の政治学科で学んだあと、進路にウニウニしていたときにお試しで受けた大学院に合格し、師となるS先生から連絡を直接もらったことを意気に感じて進学を決めた話などは、けっこうマイツボである。院生時代も、熱い学会報告をしていた。「青年の主張全国大会のような」というのが、はじめて小谷さんを認知した語彙であった。
 新著は、ミード、ヴェブレン、アリエスなどの理論的知見への理解を基礎にして、それなりの覚悟をもって、論を提起するものになっている。ブログでは、自分を鼓舞するように「どこからでもかかってきなさい!」とシャウトしている。
http://blog.goo.ne.jp/binbin1956/e/dad3b7ed03ba3e944515106182345144
 書き出しは妙にチキンである。「本が印刷にまわってからの一週間というもの、私はほとんど仕事が手についていない。いや、家にいる時間の大半は布団をかぶって寝ていた。情けない」。しかし、決然と覚悟を語る。「本書のなかで私は高名な識者を何人も実名をあげて批判している。それが気になりはじめた。もちろんおかしなことは何も書いていない。相手に異論があればそこで論争がはじまる。ただそれだけのことだ」。小谷さんは言う。この本には「過激」が満ちている、と。
 論壇誌や新書の編集者が、この過激からどのようなことばを拾い出すのか、ちょっと楽しみである。そんな視点から本をめくるのも楽しい。モザイク状の文言がならんだ目次を眺めていると、目次の行間に、旗印になるようなことばが陽炎のように見えてくるような気がする。まあ、それはいわないでおこうと思う。w ありがとうございました。
 いろいろ刺激になった1日だったけど、やっぱり私は、「ニート君もう待てないわ」とか、「昼下がりのニート」とか、「喪服のニート」とか、「ニート義母」とか、アホなことを匿名で2ちゃんに書いて、アヒャってるときが、一番楽しいよぉぅぉぅ。