三浦展『格差社会のサバイバル術』

 〆切りがだんだん迫ってきたのに、また書き直しをはじめてしまった。査読があるとないのでは、こんなにもちがうもんかしら、と思う。と同時に、シビアな査読者や毒舌の編集者は、私どもにとってはまさにお宝といえるのかもしれない。信頼できる仲間がいればいいのだが、身内故の盲点などもあるだろう。あと、日頃うすうす感じている仲間の学問の短所みたいなものを説教臭く言われると、はいはいはいはい、になってしまったりもする。それはともかく、この間禁欲して開封していなかった郵便ボックスに積まれていた本屋さんから配達された本の山を久々に見てみた。久々というのは、見たら時間つかっちゃいそうなのは、見なかったからであります。そしたら、学研新書から出た三浦展氏の著作がまたまた届いていた。
 学研さんは言う。「ますます格差拡大が予測される中、人は、会社は、生き残るために何が必要なのか? 悩める団塊ジュニアやミドル層に向け、負け組にならないための知恵を、各専門家との対談を通してベストセラー著者が解き明かす。社員の気持ちがわからない会社に明日はない!」。三浦氏の「下流社会もの」のなかで、消費論とは別の領域を形成しつつあるディスポーザル企業を批判する「下流企業もの」の一冊のようだなぁ、と思って、ページをめくってぶっ飛んだ。すごいよこの本。けっこう目につきにくいところに掲載されていた対談を集めた本。もう大注目で、ページをめくった。相手が、オールスターズ。うちの非常勤講師のあべセンセもしっかりはいっている(あべセンセからも訳書をいただいたのだが、これはまた原稿提出したら紹介します)。

紀伊国屋さんご紹介

正社員になりたくない非正社員…。
管理職になりたくない正社員…。
彼らに希望はあるのか?『下流社会』の著者が贈る格差脱出への提言。

目次

第1章 将来に希望が持てないロスト・ジェネレーション門倉貴史×三浦展
第2章 「ロス・ジェネ」を下流化から救うために(本田由紀×三浦展
第3章 砂のような下流・コミュニティを作る上流(香山リカ×三浦展
第4章 これからの女性は、「正社員+結婚+共稼ぎ」!(森永卓郎×三浦展
第5章 夢を降りた団塊ジュニアは「買い」です(阿部真大×三浦展
第6章 非正社員が納得する働き方とは?
第7章 ミドルは安定によって仕事の質を上げる(大久保幸夫×三浦展
第8章 働く側のニーズに応えて会社を強くする(篠田信幸×三浦展
第9章 ニートたちの食生活と“見た目”格差(雨宮処凛×米山公啓×三浦展
第10章 格差恋愛の時代がやってくる!?(小倉千加子×三浦展
第11章 富裕層と下流の奇妙な「共犯関係」(橘木俊詔×三浦展

 拾い読みの殴り書きになるから、酷いことになると思うけど、やっておかないとずっとやらないと思うのでやります。でだ。
 とりあえず、「ニートって言うな」と言った人のところを見る。三浦氏は、売れすぎたため、単純化されて誤解されている、と「下流社会論」について釈明し、「社民党的なもの」との接点にも触れつつ、議論の土俵をつくり、生産的な議論に心がけているカンジ。他方、対談者は、教育社会学者として言うべきことはしっかり言っているし、味読に値する箇所もあったように思う。どうせなら、まあまあまあと翻意しようが懐柔しようが、おめーだけはゆるさねぇよ、こっちはよ、パンツぬいじまってんだからさ、てめーもぬいでみろよ。でもって、とことんセメントでこいや。みたいな内藤さんとか、「やっちまったなぁ俗流」の後藤さんとかが出てきた方が面白い面もあったんだろうが、それはプロレスのりで、それなりに持ち帰るものがあったとすれば、非常に有意義だったンじゃないかと思った。
 「怒ると根に持つタイプ」という噂のバイク便ライダーのところは、その次に見た。チミチミってかんじで、対談は始まっているが、最後のほうはけっこう面白い。「僕らの世代はあまり消費しないから金いらない」とか、「世代その下もあって、そいつらのことは、『今どきの若いモン』みたいにゆってます」とか、けっこうアンテナに引っかかったんじゃないかなぁ。金のある正社員な下流もいれば、アルバイトの赤貧のボボスもいるみたいな議論は、どうなってゆくのかなぁとか、考えさせられることは多かった。牛丼モリタコは、かなり期待してみたが、恋愛の話が多くて、ちょっとねぇ。でもあべセンセの議論と重ねると、モリタコの「今どきの理想」観はどうなんだろうか。
 雨宮は、なんかやたらウツとデブにこだわっていて、うつとデブが排除される社会みたいなのでしめていた。というのは、ちょっと乱暴だけど、さすがの切っ先というカンジのことばが拾えたのはよかった。最近ウツ論出汁まくりの香山リカは、その辺を深めるのかと思ったら、ボボス論出していたので、そっちへ行っちゃったカンジ。
 ファスト風土化するディスポーザル社会をどうすりゃいいのか、って議論を読んでいたら、官僚になり、今はほんとうに大事な問題で重責を担っているある先輩の言葉を思いだした。こんな感じ。・・・リーマンだ、ゴールドマンだと話題になっている昨今、マネーゲーム云々を批判する奴らがいる。でもね、市場というものがあるかぎり、マネーゲームはなくならない。話はそこからなんだ。・・・そんな話だった。
 加藤典洋の『この時代の生き方』とか、マンデヴィルの『蜂の寓話』とかが、ヴェブレンの『不在者所有論』とかが脳裏をかすめた。マネーゲーム高速増殖炉のような社会の原動力で、世界中を覆い尽くしている。環境とかでこけそうだけど、サルマス社会は股ぐら一本スジ通して逝く道逝きますみたいなところもあって、心臓が悪いからお人形は不法投棄しますどころのさわぎではなく、逝くまでシュパンシュパンみたいな。「マネーゲームイケマセン」というのも、そっちが得じゃないとどうしようもないんだろうね。ひとつのシステムつくって、そのなかで得というのはできるけど、殺さない方が得くらいの土俵はつくらないといけない、というかもしかするとそれでもだめ??ついでに言えば、「オネダリイケマセン」もそうなのかね。そんななかで、ヴェブレンが最後の最後で持ち出す信用論みたいな議論が、なんとなく動き始めているとすれば、大注目だなぁと思うのであった。