中野重治「十月」

 2日は横浜国際プールの泳ぎ初めだった。混んでいたが、とりあえず一時間ほど泳ぐ。3日も続けて泳ぎに行った。ここでも一時間と少し。やはり深いプールは泳ぎやすいことは泳ぎやすい。しかし、ここへ来るとなかなか歩かない。一度、家から新横浜くらいまでなら歩けるかなと思ってはいるのだが、二時間歩いてクールダウンというのには、ちょっと遠いのだ。しかし、ジャグジーだとか、設備はいいよね。飛び込みプール常時開放なら、毎週でも来るのだが。
 一年の計は元旦にあり、ということで、今年はどうしようかと考えたが、理屈抜きに言えるのは、勉強するぞということだ。朝型にする。これは中学時代よりの私本来の姿だ。朝早く起きて勉強すると、一種宗教的な気持ちになる。早朝に、メモ書きや本をもって、野毛山あたりを散歩しながら、勉強したことを思い出すと、ちょっと気障な気分になって、やる気がわき起こってくる。ダメだ、無理だと、罵倒されながら、育ってきたもので、凹みやすい人々の気持ちは正直まったくわからないところがある。一番澄み渡った気持ちに慣れそうな場所に、新しい居を構えた。奮い立つ気持ちが持続すればいいのだが。

空のすみゆき
鳥のとび
山の柿の実
野の垂り穂


それにもまして
あさあさの
つめたき霧に
肌ふれよ
ほほ むね せなか 
わきまでも
「十月」中野重治

 まあしかし、かつて「褒められてのびるタイプ」と自分で言うのであきれ果てたやつがアジアの国の山奥で3000人の調査をして帰ってきたりするようになり、またあるいはキツイキツイと泣き言ばかり言っていたのがすっかり逞しく自立したりするのを見てきたので、だからダメとも思わないのだが。私も長いこと6時に寝る生活を続けてきた。
 6時に起きれば、なにもなければ午前中に6時間仕事ができる。そして、その時間はあまり人に邪魔されない時間だ。学生との相談も完全予約制で、油は売らせない、というかたちにする年齢になったかと思う。アポイントを取って、用件は簡潔にまとめて、メールで事前に送り、制限時間は30分。これは他校の標準だろう。簡潔にまとめられない用件は拒否するのが普通とも聞いている。もっと厳格にいえば、オフィスアワー以外は拒否もできるわけである。そうすることが、面倒見がいいということではないかと、最近では思ったりもしている。なぜなら、私がそうしないのは、面倒くさいからという理由だけなのだから。13回卒論指導をして、どうやったら自分の研究に利用できるかというパターンはほぼ確立した。そろそろどうやって人を育てるかみたいなことも考えるべきかなぁと思うのである。しかし、また原稿の締め切りとかあると、そうも言えなくなるんだろうなぁ・・・。
 3日は弟の家族が来て、中華街へ。新年は楽園に行くのが習慣である。チョイスは、叉焼、クラゲ、エビの塩こしょう炒め、唐揚げ、イカブロッコリーの炒め、貝柱とセロリの炒め、エビとグリンピースの炒め、鶏肉とカシューナッツの炒め、豆苗の炒め、ワンタン、ライス、ザーサイ。あまり変わったものは頼んでいないが、クラゲ、鶏肉の炒めといったものも、単品で頼むとこの店らしい「違い」を感じる。カシューナッツは混ぜただけみたいなカンジで、え!と思うが、食べてみると、ゆりねが入っていたりして、滋味あふるるものがある。ブロッコリーや豆苗などの野菜の火加減というか、炒め方は、すげぇというしかないところがある。最初は、地元ピープルの来る店というし、カエルとか紅葉とか内臓とか、マニアックなものは豊富だし、なによりどんな混んでいるときでも空いているから、ということでここに来ていたのだが、最近は激混みになってきている。そして、頼むものは、ごく普通のものにシフトしてきている。
 サインの類は一枚もない。壁にあるのは、その日の旬の料理の張り紙くらいだ。芸能人などが来ていても、サインとかねだらないみたいで、ッポイなぁ、と思うくらいでわからない。でも、名のある大きな店のオーナーとかが、シャラッと食事をしたりしているらしいのだ。コックが変わらないから、味も安定している。ただし、なんでも美味いわけではない。それにしても、なぜかメニューに餃子ライスとかあったりして、それが別にイヤミでもないところに、凄みをかんじたりするのであった。