卒論主題公募と自己評価

 某サイトにおける卒論テーマ公募問題につき、いろいろ議論がなされていて興味深く拝読した。そして知り合いの某先生が公募に応募されたと聞き、くそぉと思ったなどというちょっと不真面目なスタンスで見てしまう自分がいる。そんなおりしも、id:dice-xさんが、ついに卒論自己評価というのをはじめられた。かかれていること自体、非常に学ぶべきところが多い議論である。ゼミの学生さんたちには、是非とも一読をおすすめしたいと思われる。
 で、俺はどうだったのよ?と思った。当時はみんなひどいもんだった。教員提出だったのでやりたい放題だったこと。友人の某氏は、はじめに、序論、第一章で、ページをめくると結論になっていたこと。なかには書かずに卒業したのまでいること。等々、学生さんにとり百害あって一利なしの思い出しかない。自分の卒論で覚えているのは、かなり短い時間で書いたこと。元となったのは、大学院の志望書の草稿類と、かなりシビアにやった夏合宿のレジュメだったこと。最後に著者近影と略歴を書き、近影には目がボールペンで書いてあり、先生に怒られたこと。等々、ろくなもんじゃない。
 忘却の彼方にしまってあったのを、何年ぶりかで見た。『「科学」フェティシズムと創造的想像力』という題名であった。環境問題とかやっていて、その社会問題の哲学的考察が課題となっている。私は科学論のゼミにいて、マルクス主義の哲学を勉強していた。科学のフェティシズム=反科学、想像力=サルトルなどとレイブリングされ、マルクス主義者の院生たちにボコられ、なじられたりしたが、論は要するに、社会問題の考察を一定の科学的言語系、コード系に変換してしまうような立場を批判し、社会問題の批判的対象化を創造的に行うことが大事で、その辺を主張した人としてミルズがいるということであった。明らかに真木悠介の存立構造論の図式を真似した図が書いてある。赤子の時のちそこだした写真や、昔の恋文でも出されたときくらい恥ずかしいものがあった。
 目次の構成はキレイだが、モロ二分法そのまんま。目次を引用しようと思ったけど、酷いのでやめた。勉強量は。イギリス経験論と大陸合理論とドイツ観念論プラグマティズムと・・・ミルズと・・・いろいろ勉強してあるから、まあまあじゃないかな。w引用もミルズについては、すべて英文から引用してある。二次文献もかなり引用してある。まあこんなことは、ちょっと器用ならできるんだよね。英文学原典購読という授業で、ウィンスタンレーの初期社会主義文献を読むというのがあって、訳書がなくてわけわかめだったけど、マックス・ベアの岩波文庫に大量に引用されていたので、それをつなぎ合わせてレポート書いたら、いい点もらったりした。ヴェブレン研究なんて、どうせドーフマンぱくっていルだけ、と嘯いたら、某先生に妙にほめられたこともある。真摯に思われたみたいで、まいったけど。そんなことやっていると、ろくなことにならないのは、自分でもよくわかるよ。
 ただ大きい問題意識と、学問的作業をつなぐ、パラメーターのような要素が決定的に欠けていて、貧しい二分法で書いてみましたというものでしかない。レビューも、仮説もへったくれもない。問題意識で、いきなり本論。修士論文なら間違いなく不可だと思う。そこには社会学の問題はなにもないかも。と見栄をはったら怒られるかね。修士論文題名『反省と想像力』、博士課程単位取得論文『価値と構造変動』。笑い転げるくらいのドキュソぶりでしょう。っつーか、笑うしかないよね。反省と想像力☆。南州太郎もじって「反省しまっす」などとからかわれたっけ。「雄大な序論、貧相な本論、凡庸な結論、そして思い入れたっぷりのあとがき」などとも言われたりした。で、卒論だけど、卒論で今のゼミなら、そうだな、Aはつけると思うけど、w Sはやらないよって感じかな。甘いかな。
 言い訳はあるんだよね。前にも言ったが、秋の大学院入試までは、哲学やってもいいかなと思っていた。入試の論述は。哲学の「科学的認識の形成におけるアンチノミー問題の意義について」というのと、社会調査論の問題を解答した。で、面接で社会心理学のゼミに行きたいと言った。要するに、卒論始めたのは秋以降なんだよね。しかも、別の大学院受けるかうじうじしていたし、あと、なんか開放感で自由にいろいろやりすぎて、わけわかめになっていた。
 ちなみに、大学院時代恩師佐藤毅先生に「君二年で修論書けよ」と言われ、「まあ書く気になったら書きますよ、。主題決めてくれたら、すばらしい論文書く自信あるんですけどね」と言ったら、「君はそういうところが一番だめなんだ」とスゲェ怒られた。「そういうところって?」と聞く勇気はなかった。が、聞いておけばもうちょっとマシになれたかとも思わないことはない。ッツーか、まあ言ってみれば、私も修論の主題を募集していたりしたんですね。w ただし、一言言っておけば、私は修士課程時代二年間と大学院受験前は、一日最低十時間くらいは勉強し、勉強以外のことは一切関心がなかったことだけは言い添えておかないと若い人のためにならないだろうな。私はものすごい努力家なんだよ。博士時代遊びまくったのも、勉強しかしなかった自分がいやになってものすごい努力したとも言えるわけだよ。