伊藤守『テレビは原発事故をどう伝えたのか』

 日本社会学会からニュースが送られてきて、ジュネさんがシンポジストとして登壇報告されることを知る。震災当日からのツイートを拝見し、言葉を失っていた。今度の学会は北海道なので、行くか迷っていたのだが、このシンポを聴くためだけにでも行くべきなのかなぁ、と思いはじめた。
 随分前のこと、この本の出版と前後して、伊藤守さんよりいただいた。年度末のいろいろな仕事と、それからけがとが重なって、ずっとお礼もできずにいた。お詫びするとともに、心よりお礼申し上げたい。

テレビは原発事故をどう伝えたのか (平凡社新書)

テレビは原発事故をどう伝えたのか (平凡社新書)

人びとは固唾を呑んで、福島原発事故のテレビに見入っていた。そこで、テレビは「原子炉は安全だ」「放射能が漏れても直ちに健康被害はない」と、政府と東電の主張を繰り返した。その結果、ネットなどで、「大本営発表」との批判が噴出した。その批判が妥当なのか、ここで番組の丁寧な検証を行いたい。“3.11後のよりよい社会”を構築するためにも。テレビは誰の目線に立って報道したのか?メディア・スタディーズの専門家が答えを出す。


目次
序章 “3.11後の社会”の熟慮民主主義のために
第1章 福島第一原子力発電所事故の経緯―3月11日から3月17日まで
第2章 地震発生から一号機の爆発まで―振りまかれる「楽観論」の言説
第3章 福島第一原発一号機の爆発―覆い隠せない“現実”と“安全神話”の間で
第4章 3月13日から14日の三号機爆発まで―繰り返される「可能性」言説
第5章 3月17日ヘリからの水の投下―人体への影響はどう語られたか
第6章 原発事故に関するインターネット上の情報発信
第7章 情報の「共有」という社会的価値
http://www.7netshopping.jp/books/detail/-/accd/1106147500

 伊藤さんと言えば、カルチュラルスタディーズ、とりわけメディアスタディーズのリーダー的存在であることは言うまでもないだろう。フィスクのテレビ論などの訳業でも知られている。「カルスタ」というと、批評用語、思想用語などを駆使する、つまりは学会ではハミられ、ハブられて当然の際物みたいな雰囲気がないとは言えないわけだが、場の創造というような知見を、オーソドックスな社会科学によって体系化し、優れた後進たちにそれは受け継がれている。
 オーソドックスな社会科学とはマルクスウェーバーなどの古典的な社会科学についての該博な知識であり、また原発問題などを中心とした社会運動論をめぐる一連の仕事である。恩師の佐藤毅先生と共通する特徴を持った研究者であり、後進の1人として常に作品には注目してきた。
 今回の著作は、この二つの研究を総合したものになっている。第7章のタイトルを見ると、伊藤さんの学識と洞察力をうかがうことができるように思う。
 この本については、多くのブログなどによって紹介されている。なかでも、岡井崇之さんの紹介は、詳細でポイントを突いている。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/okai/archives/2012/03/post_24.html
 卒論でメディア研究をしたいという人は、テレビ報道を執拗なまでに参照して書かれた本書から学ぶことは多いだろう。藤田真文他『メディアの卒論』等と併読して、テレビで書くことの困難をじっくり味わうべきだろうと思う。ブログ記事のなかには、厳しい批判を寄せているものもあった。こういう点も含めて、論考を書くことの難しさを訴え、教室という場で本書を活用していきたいと思う。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20120329/1332978612