カステル『インターネットの銀河系』

 学食で昼食後研究室へ。スパゲティを食べたのだが、なんだか重い。業者が入る前の、ゆであげパスタにソースをかけるかたちに戻してもらえないモンだろうか。いちいち炒めるよりずっと早いだろうと思うんだが。研究室に来たら、矢澤修次郎先生から本が届いていた。ありがとうございました。
 本をいただくといつも恐縮してしまいます。先生方からいただいても、若い人たちからいただいても、申し訳ないなと思います。お世話になった先生方は、まあ「買ってくれ」というような立場の人たちなわけで、身が縮みます。若い人たちは、年収も少なく、なけなしの金なわけで、なけなしをグッとこらえて献本に使うというのは、若い頃は、実利云々というよりは、その人の心構えの問題として、それなりに有効だとは思いますが、やっぱ痛いでしょうし。買えと言っていただければ買いますし、宣伝しろと言っていただければ、ネットだけではなく、草の根で図書館に購入希望なども出しますです。最近は買った証拠に、ワンクリック注文画面のリンクを添付して、買いましたメイルをお送りしたりしております。

インターネットの銀河系 ――ネット時代のビジネスと社会

著者:M・カステル
訳者:矢澤修次郎・小山花子

インターネットの銀河系―ネット時代のビジネスと社会

インターネットの銀河系―ネット時代のビジネスと社会

出版社による紹介

「星雲から銀河へ――発展するITの全域を俯瞰
インターネットは、まさにグーテンベルクに始まる印刷術の普及に匹敵する、人類史上における「もう一つの銀河系」に成長しつつある。我々はその優れた柔軟性と適応力を生かし、個人と外部世界との新たな結合を発展させつつ、情報の氾濫と悪用がもたらす乱気流への失墜を避けることができるか。「技術は社会的実践によって変化する」との確信の下、その草創、現在、将来にわたり、独自の視力でITの全域を俯瞰した名著、待望の翻訳。

目次

オープニング ネットワークはメッセージである
1章 インターネットの歴史から見えること
2章 インターネットの文化
3章 eビジネスとニューエコノミー
4章 バーチャル・コミュニティとネットワーク社会
5章 インターネットと政治 1
―コンピューター・ネットワーク、市民社会、国家ネットワークした社会運動
6章 インターネットの政治 2―サイバー・スペースにおけるプライバシーと自由
7章 マルチメディアとインターネット―収斂の先にあるハイパーテキストとは
8章 インターネットの地理―ネットワークされる場所
付録―インターネット・ドメインとインターネット・ユーザーの地図を構成する方法と資料
ドメイン・マップ
9章 グローバルなデジタル・デバイド
結 論 ネットワーク社会の挑戦
解 説 マニュエル・カステルのネット論 小山花子
あとがき 矢澤修次郎
http://www.toshindo-pub.com/newbook/index.html#k

 まだめくった程度でなんですが、一応何か書いておきます。なお各章の要約は、訳者の小山さんが的確に解説に書かれていますので、省略いたします。
 題名もそうであるが、前書きなどを見ても、当然のことながら、マクルーハンの名前がすぐさま思いつく。
 マクルーハンの辺は、乱読の連鎖に身をゆだね(笑)、春休みにバーバラ・W・スタフォードなどと照らし合わせながら、集中的に読んだものだし、そちら方面での思考が暴走しても不思議ではない。メディアはメッセージ、といったときのメディアと、ネットワークはメッセージ、といったときのネットワークは、概念的にどう区別されるのかとか、マクルーハンにおける汎メディア論とカトリシズムというようなモチーフは、カステルのネットワーク論にどのように移しかえられているのか。あるいはまた、ネグリマルチチュードみたいな議論とどう理論的に切り結び、歴史的な叙述が行われているのか、とか。
 しかし、この本は「入門書」ということで、一般向けの解説が丁寧に行われているかんじである。索引を見ても、メディアとネットワークの概念的区別だとか、ネグリ他への言及などは見あたらない。歴史的にも、古代がどうだとか、ゴシックがどうだとか、ぶっ飛んだことにはなっていない。だから、人文趣味のへりくつ無しに、必要なことを理解できるように書いてあると思う。ハイパーアッパーなリクツをこね回すのではなく、実践の場に身を置く人が、ネットワークという問題とどう対峙するか、ということについて、役にたつように書いてある本だと思った。冗談8割で言うと、ジツは私は、分厚い大著なので、市場の歴史みたいなのを威風堂々書き直す、学問的な厳密さみたいなことから言うと、いささかローファイ、っちうよりはがらくたぶちまかしてみましたけど、舐めるなよネオリベみたいに、なんか言えていると思います、的な、「つながりの世界史」のような弾けまくった著作を期待したりしていたのだが。まあ、あり得ませんよね。
 目次を見て、一番注目されるのは、「インターネットの地理」という章だろう。ウィスコンシン学派の地理学、日本のカチンコチン左翼な地理学、他方で地図の想像力論・・・など、目次を見ただけでも、いろいろなことが思い浮かぶ。そういえば、矢澤ゼミの人でウィスコンシン大学に留学した人もいたんだよなぁ、とか。
 それにしても、母校関連の人々が翻訳し、かつ「技術は社会的実践によって変化する」などと書いてあると、中村静治『技術論論争史』などを思い出すので、不思議なものだ。まあそこまでいかなくても、そこそこ批判的で、公共性や市民についてそこそこ左翼に問題にしているコンテクストを思い浮かべながら、襟を正して、背筋を伸ばして座り直し、本をめくり始めているのに気づいて、苦笑した。
 ソシオロジーのオーソドックスな伝統を踏まえながら、社会運動論の実証研究にとり組まれる矢澤先生たちの研究グループは、今風の社会学にちょっと疲弊した人々に対し、カステル、メルッチ、バウマン、セネット、ギデンズ・・・などをはじめとする動向を紹介され、私(たち?)のようないささか遅ればせのドメスティックな社会学者たちに刺激を与え続けてこられた。カステルは、そのかなめとなる一人だろう。矢澤先生が、バークレー社会学雑誌にあのような論文を書き、母校に情報社会学の伝統を創られ、経営組織論などにも配意され、地球社会研究を構想されたことが、あらためて思い起こされた。