森毅の線形代数の本が、アマゾンで三千円台で手に入ることを偶然知り、購入した。昔立ち読みして、当時はお金がなくて買えずに、あとで買おうと思っているうちにかえなくなり、古本市場で鬼高くなっていた。平均価格は7000円台だったので、だいぶお買い得だった気はするが、もしかすると古本屋まわりしていればもっと安かったのかもしれない。別に50の手習いでこっち方面を勉強しようというのではなく、科学史の根っこをイメージとして理解しておきたかったということが一つと、もう一つは最近こだわっているトレースの意味あいをそのなかで確認しておきたかったということである。そして、正直細かいところはまったくわからなかったが、w なんとなくだが見通しのようなものは感じられた気はする。
- 作者: 森毅
- 出版社/メーカー: 日本評論社
- 発売日: 1980/01
- メディア: 単行本
- クリック: 2回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
いずれにしても、こういうものははまりこんでも、絶対にどうしようもないので、そんな時間があったら、英語のリハビリでもしたほうがいいのだが、まあともかくときおりこういう刺激物を摂取することは、大事なことだと思う。春休みのうちに山本義隆の物理学の本にもチャレンジしてみようかと思うのだが、あれは分量も多いし、そんなことやる前にやらなきゃいけないことがたくさんあるので、考え込んでしまうのであった。
森毅の本は、やはり森毅の本であって、おちょけりかえったところも多々あり、特にその多くのギャグは今となってはかなり痛い感じもするんだが、説こうとしていることが面白いので、まあ聞き流しておこうか、という気になる。
50歳をすぎてしまうと、どうあがいても、つま先だっても、自分がたいしたことないことは、分かり切っているので、数学で見栄をはる必要もなくなる。だから、この本と向かいあってみえて来たのは、大学でどう学ぶか、どう教えるか、ということが、一番大きかった。下記の一文はなかなかしみるものがあった。ファッションとは、どんなふうに微積分や線形代数を教え、学ぶかということだ。
少なくとも大学生になったら、自己の教育を対象化することだけは必要で、自分がどのようなファッションを選択しているかということを、指定教科書や科目の必修選択といった外からの立場でなく、自己の立場から考えることが必要だ、とだけは言っておく。(同書 p.9)
私は線形代数と微積を教える大学1年の数学は評価はCだった。納得いかずに、成績質問に行ったが、追い返されて以来、数学とは遠ざかった。「なんらかのかたちで一生数学を学び続けてくださいね」と弱々しく言った先生の表情はよく覚えている。この成績は必要以上に私を傷つけ、私は数学を勉強しなくなった。ただ、社会学の授業はBで、社会学史に至ってはDだったのだが、勉強をやめなかったわけで、これは関心が切れちゃった、というか勉学の胆力、実力がなかっただけだと、今では思う。
それはともかく、(こういう必要もない思い出話の前置きを入れることで、講義がわかりにくくなっていることは、最近自覚しはじめているw)この先生が、最初に群論みたいな説明を執拗にやって、整合的な体系として学習内容を証明しようとしていたことだけは、なんとなく伝わってきて、知的興奮を覚えた。それだけでも、この授業をとった価値があったかと思う。まあしかし、線形代数のココロや微積のココロはみえてこなかったのだから、成績は妥当だったのかもしれない。
話はクソ長くなったが、森毅の本を読んで、執拗に考えたことは、社会学概論を来年どう教えようか、ゼミをどうやろうか、ということにつきる。今年の講義評価を読んでいて、評価は低かったものの、意外なくらい多くの人に「届いている」カンジはした。そして、けっこう実りある反省材料は得られた。ちょっと4月が楽しみになってきている。
ところで、森毅はやけどをしたらしい。ご快癒をお祈りしたい。