三浦展『貧困肥満』

 金曜日は上野千鶴子さんの講演を聴く。正直、共催する女子大大学院のメンバーでしたし、同僚の先生たちが登壇されるので聴きにいったのですが、話芸とともに、なぜケアか?という問題に対して、学問的な来歴を踏まえられ、社会学の根本問題とも関わる問題提示が鮮やかになされていたのは刺激的でした。
 講演のことは前からわかっていたのですが、3月期の入試と日程が重なり、確保できた教室が200人に満たないものであったため、あえて情宣はしませんでした。それでも、席は満席で補助イスが動員されました。
http://office.twcu.ac.jp/event/1228484788714.html
 女子大の大学院と共催された団体とも関わり、さまざまな支援プロジェクトが立ち上がるようです。詳しくは下記に。
http://www.jca.apc.org/~janni/seminar.htm
 それはともかく、三浦展氏からまた本をいただきました。『下流は太る』を改訂し、新書化したものです。西荻坂本屋のカツ丼をよく食されている三浦氏で、ここにも「あれはやめません」とキッパリ言われたわけですが、まあ考えてみると、あれは下流メシではないでしょう。下流メシというのは、起き抜けからクォーターパウンダーに、フライドポテトのLに、コーラみたいなイメージでしょうから。

貧困肥満-新格差社会の到来- (扶桑社新書)

貧困肥満-新格差社会の到来- (扶桑社新書)

内容

 低所得者ほど安くて高カロリーなものを食べるのに対し、金持ちはスポーツと健康食でスリム…。体型で階層がわかってしまう、恐怖の体型格差社会の到来を調査データから明らかにする。〔「下流は太る!」(2008年刊)の改題改訂〕

目次

 第1章 問題提起 貧困大国は肥満大国でもある
  (貧困肥満大国アメリ
   低所得者ほど安くて高カロリーなものを食べる
金持ちはスポーツと健康食でスリムな体型を維持 ほか)
第2章 ルポ こんな暮らしがデブの素
(勤務先でのファミレスで1日3食、
クルマのない生活は考えられない
独り身&面倒くさがりが肥満の素。
何よりもの楽しみはお酒
年収1千万超えも、不規則な生活と面倒くさがりが肥満を助長 ほか)
第3章 座談会 飽食から崩食、そして呆食へ(鈴木雅子 篠崎正彦 三浦展)
(今の若者は衣食住の中で食を一番軽視している
人を楽しむ気持ちが食事をよくする
やせ過ぎが多い食事は太り過ぎも多い ほか)

 昨日のみくしに、ネオリベ大国アメリカにおいて、一番ガキが喰う、というよりは6割以上のガキが一番喰う「野菜」がフライドポテトで、でもって一番摂取する果物がジュースというニュースがあがっていました。さすが格差社会というかんじです。
 裁判員制度から、大学改革というようなことだけではなく、雇用から、医療、介護まで、カチンコチンアメリカ化しつつある現状は、虎の子の企業がぶっつぶれちまったら、どうしようもないということもあるんだと思いますが、グローバリゼーションみたいな視点を入れると、国境なんてめんどくせぇもンをとりはらっちまわないと、勝ち組生活維持できなくなっているみたいなことなんでしょうか。日本の占領政策の一つに、極東地域におけるプロ野球の振興というのが上院報告なされたというような話がありましたが、ジャンクフードの振興も同じ政策的意図でなされたのか、とか考えるのは、講演会の余韻かもしれませんね。
 で、「下流は太る」では間に合わなくなっていて、「貧困」になっちゃっているわけで、1年の間にさらに事態は進行したということでしょう。浅草の250円弁当の油ぎっしゅでニオイ嗅いだだけでもうお腹いっぱいな状態を嗅ぐにツケ、安いメシがいろいろ手にはいるようになってきている状況は、高度成長期とはずいぶん違うよなと思います。
 高度成長を離陸させた時の首相が「貧乏人は麦を食え」といって大問題になった頃、国民標準食という慎ましい献立が某官庁から発表されました。アメリカンドリームな、チョコやケーキやクッキーやビフテキや鶏のモモや、そんなモンがくいてえよ、と思いつつも、それを発表した人々の識見というものは、ガキのアテクシにもヒシヒシ伝わってきたモンです。まあ美味いモン食い始めチマったら、もうやめらんねぇ、みたいなところはあって、それが一番やっかいなわけで、戦略的には何をするのが一番効果的かみたいな論をビシッと出せるか、ということをちっとは考えてみないとねぇ。
 思いつくのは煮え切らないことばかりで、無理だなぁとは思う。一つだけ言いたいことは、あいかわらずで、アテクシが、サブカルチャーとかいいつつ考えたいのは、貧困に対する支援の必要という文脈をにらみつつも、そんな赤貧状況のなかでも、人々を楽しくするモンだということを、講演会と三浦氏の著書で再確認しました。だからこそ、ハンセン氏病の施設について、賭博なんてものまでも視野に入れて調査されて論考にされた若手が現れ始めていることは、頼もしく思う次第なのですが、まあ任せておけばいいかなどと思ってしまうのは情けない限りであります。
 昔『サブカルチャー社会学』を書いたときに、最後になぜ思想史みたいな考察が書いてあるかわからないというご批判を書評者からうけた経緯があります。しかし、工業化に伴うさまざまな変化、ニューディールからネオリベまでを視野に入れますと、他方で思想史的な考察は不可欠だと思いましたし、その実感はますます強くなります。講演会や三浦氏のご著書で、さらにこれも確認されました。有意義な一日だったと思います。