「間」で笑う:ネタのネタ化と下衆ヤバ夫の変容

 ついでに言えば、きのうのりちゃほのビデオを何度かみて一番印象に残ったのは、「小木大サーカス」で、柴田が「間の笑い」をネタ化していたところである。まずたいして面白くないネタをふる。ここで「間」をおく。そうすると誰かが吹き出し、笑ってしまう。これを何度かやって、「こいつら間をおけば笑うんだよ」と柴田は警官にいいわけするの。これにはかなり笑いますた。「間」で笑うッテことを熟知していて、かつ社会学者とかが「間の笑い」「余白で笑う」とかゆうのを、心底くそ馬鹿にしているわけだよね。間で笑うというのをネタにして、さらにそれをネタにしてと、すごいことになっているわけだよ。これには腹を抱えてワロタっす。よく見るとそのあとの「にらめっこ」というのも玄妙で、「にらめっこしましょ」という柴田の動作、ピクピクする小木の鼻フック、しかもそれがはずれちゃったりする「間」のよさみたいなものがあり、でもって矢作が「素」に戻って、笑ってしまう。わはははは。すげぇわな。
 うんちくをこけば、激こー老人作田啓一翁が『恥の文化再考』を書いたときに、日本文化は「恥の文化」ということを検討するなかで、日本人独特の洗練された視線の文化の象徴として、にらめっこをあげているんだよな。まあこの本を読んでいるかいないかということはたいした問題ではなく、そういう視線の「間」の洗練された姿として、にらめっこがあり、それをネタとしていて、かつ馬鹿な社会学者が「間の洗練」とほざくのを見透かすかのようにして、小木の鼻フックがひくひくして、しかもおっぱずれて、爆笑というとんでもないことになっているわけだ。なんか知らないけど、りちゃめんもスタッフもスゲー充実しているように思いますです。
 下衆ヤバ夫も少しずつ変容しているように思います。ものすげぇ油っぽい押し出しのつよいパフォーマンスが基調なわけだけれども、下衆り場のネタにおいては、きゃん多摩大学あたりから、「引きの間」というのともまた違う、妙な「間」を使い出しているように思われますた。「もにょもにょなヤバ夫」ですね。もにょもにょ言って、NGギリギリのパフォーマンスで消えゆくような声でオチを言う。天狗ネタなんかは、あの前にもにょもにょひっぱりまくった挙げ句の果てだから、かなり笑い転げました。アレって、ちょっと前に栗井ムネオが、上田結婚式ネタで、すねた風にほっぺたふくらまして、うにゅうにゅしたパフォーマンスと似ている。スローモーションで、有田に殴りかかるみたいな奴ね。アレも面白かったよね。パペットマペットが、「ウシ君」「蛙クン」と叫びあい感動の抱擁っていう動作をスローモーションでやって、蛙クンがウシ君を喰おうとするネタも笑えたけど、動作の緩慢化系は久しぶりに見てけっこう新鮮だった。