フリーライダー@ぶろぐゴロ

 一応思ったことを書いておくべかと思って書いた『ユリイカ』ブログ作法トークショーについてのエントリに二つのトラバが撃ちこんであった。おお!と思ってみたところ、要するにリンク貼ってあったっつーだけのこと。そりゃそうだろうなぁ。そーいやマスダさんに「サブカルもてない男」の称号をいただいたよなあ。でも学会に比べればいいなぁ。学会では誰とも口をきかず、挨拶もせず、孤独に出席して泣きそうな気持ちで帰る事の方が多かったからなぁ。今度は、帰りにカレーに誘ってくれた人がいたからなぁ。幸福だよなぁ。と、ちょっぴりワクワクした自分を責めた。でもってまたみたら、もうひとつトラバがあって、クリックしてみたら、本のちょっぴりだけどコメントいただいている。id:bmp さんのブログである。

めちゃ長いけど、読んだ、てか読まされた
オイシイ位置だと思ったヽ(´Д`;)ノ

 無理やり読ませた人がいるとは、なんチューことかと思ったが、まあ私の場合、どんなに馬鹿でも無恥でも無知でも、教師としてサラリーは定期的に入ってくるし、学会で泣きそうでも、大学のなかを歩けばいちおー「せんせー」とかゆわれるからさ。とりあえず自分の地位は確保で、旬なテーマにフリーライドして、しかも責任のない立ち位置でとなると、たしかにオイシイよなぁ。そりゃあ。まあただ、もしかすると何かを教えてくれたのかもしれないなぁと思った。「ああいう編集長が作るとああいう雑誌が出来るんだね、ということはよく分かった。ともかくいまどき詩の雑誌を売るって大変なんだろう」ちう引用文が無知なる者を突き刺すように峻立している。これで、ひとつ思ったのは、私は私がアマチュアで、ユーザーで、消費者で、研究者で、おまけにイタイイタイ社会学者で、でもパネラーとかの人たちって、「純粋ブログな人」だと思っていたわけだけど、そうじゃなくてあの人たちも実は「文筆の人」という消費者で、アマでってことなんだろうかなぁとも思った。分かち書きを崩してまことにもうしわけないんだけど、一応次のところは引用しておかなくてはならないと思う。

 はてなで「コンテンツ」と言えば、はてな「キーワード」であって。君たちや俺なんかのくだらないコミュニケーションレス。とぉーーーきんぐじゃないし、オフ会トークでもないし。こんなの語るまでも無く知ってて当然だから、語らないだけなんだな。キーワード編集ランキングとか。なんで、はてな運営側はそんなもん作ろうとするんだろうか。とか考えた事ないんだろうか?、無いんだろうな。いや、そんな事そもそも気付いちゃいないのかも。変な人達が変なところで変な話で、よくわからんはてなの話をしてて、なんかコンテンツ作ってる人達をことごとく無視してるよ。ユリイカってのは、そういう間の抜けた話なんですが/ちょっと理解というか、気付いてもらえたかな。/ユリイカが出るまでこの人達はホントは知ってて、何か隠してんじゃねーかなぁーとか、思ってたんですわ。いあ、出た後も、ちょっとだけね、だから行ったわけです!真面目にがっかりしたけど。/俺は確かな知識があんまないし、そもそもキーワードとか作ったり、編集したりする事におもしろさを見いだせないからヤラんのですが、だからってコンテンツ作りもしない人達が作ってる人達をほとんど無視して何か語るっつーのはエラク無神経だなぁと思うよ。/少しは理解してもらえたでしょうかたとえ不満があったって、そんな事大きな声で言ったりできんでしょう。俺らがコンテンツ作ってんだよ!!みたいな子供みたいな事は表だって堂々と言えませんよ。文筆業のライターさんってのはあれですか。フリーライダーですか。

 私はとりあえず縄張り意識みたいなものは好きではない。しかし、こういう指摘は、縄張り意識とばかり言い切れない面もあるように思った。むかし環境問題の社会調査にいった千葉県の漁村で、「大学の先生とかいった調査ゴロ、環境ゴロがたくさんくるんだよ。私らはそういうただのり連中は一切信用しない。あんたたちは学生さんたちだし、真剣に勉強したいみたいだし、話をしてみたいと思った」ということで、漁協をあげて歓迎してくれた。ただ、それで「ゴロ」が免罪されたとは思わない。いっしょに行った友人の一人は、その後何年もノリ養殖の手伝いに行きつづけた。こういう場合、無神経な人は叩き返されるだろう。そういう体験に照らして、上の文章はことあるごとに再三読み返したいと思っている。
 しかし同時に、ひとつの社会調査論の論争を思い出した。フリーライダーと言われることから逃れることはできない。それぞれにオイシクありたいだろう。しかし、そこにはそれなりの責任のとり方がある。漁民の立場に立つ。漁民の役に立つ。そのための調査という調査論が一方である。漁民を熟知し、その立場に立った実践をしなくてはならない。他方で、漁業という営みと学問という営みは、別途のもので、それぞれにそれぞれのことをするしかない。それぞれは触媒のようなもので、何を学びあえるかは人それぞれだという調査論がもう一方である。無神経さの度合いとしては、前者の方がより無神経だということは言えるのではないかというのが、この問題を考え続けた一応の結論である。オイシサに開き直るつもりはないが、理解者みたいな顔もしたくない。ややもすると偽善=自分だけはフリーライダーではないということにつながる。文筆の人は文筆を、社会学の人は社会学を、コンテンツの人はコンテンツをするしかない。
 ただブログを論じる以上ブログのトーシロじゃどーしようもねぇじゃんということもあるのかな。しかし、雑誌の対談でも、今回のトークショーでも歌手の吉田さんがいて、おまけにトークショーでも、「歌で喰うつもりはない」みたいな話になっていて、一連の仕掛け人側のほうもいちおー確信犯なのかなぁとも思った。こういう位置取りも「オイシイ位置」なんだろうなぁ。
 それ以上にどう喰うかが議論されていたことは明記しておきたい。生き馬の眼を抜く世界。何も知らなくても世界で一番詳しいように語る。フジテレビがブログっぽい番組をおっぱじめ、『ユリイカ』もブログっぽい文芸を出してみて、三省堂もブログっぽい本の展示販売会をしたということで、それぞれの責任ある態度とも言えるとも思うのだなぁ。雑誌売るためには不本意でも『ユリイカ』読者層にウケソウナ椰子に書かせる。知らなくてもいい。書く人がそれぞれの責任で書くことが大事。貨幣や権威やいろんな価値があれば、存在する意味がある。昭和天皇がどれほどの学識があったかはわからない。しかし鳥類を研究され。写真を掲載した本のところどころに、「昨日この鳥を見た」と執筆された文章は珠玉の価値を持つ。責任のとり方の一つとして、消費財として消耗しつくすまでフリーライドする−−しあう−−って人もいるのだと思う。ヤクルトの古田選手も、タレントの真鍋かをりさんも、たまごっちやってますみたいな。たまごっちってこともないんじゃない。ぶろぐはプリクラくらいではあるんじゃない。とか、うちの学生なら言いそう。もちろんはてなには、大きな可能性があると私は思っているけど。
 ちなみに、私ははてなのキーワードをつくったことはない。編集したことは一度だけある。なにか?社会学か?違いますです。ちゃーん!「マッキー」。歌手のマッキーしかなかったから、局アナのマッキーの方を書き加えた。言うまでも泣くワールドダウンタウンがらみです。書いたほうがよければ、積極的に書いてみようかなぁ。キーワード。
いずれにしても勉強になりました。意図せずのトラックバックかもしれませぬが、お礼申し上げます。