奨学金の免除職

 独立行政法人日本学生支援機構-JASSOというのは、日本育英会が変身したものであることを、けっこう最近になって知った。日本育英会奨学金というのは、かつて大学院に進学した者にはたいへんありがたいものであって、私たちの頃で月に修士6万円、博士7万円という金額がいただけた。しかも、免除職という制度があり、学校教員などになり、一定年限勤め上げた場合には返却を免除されていた。
 こういう奨学金があったから、自分は大学院に迷うことなく進学できたと思う。私たちの頃は、団塊ジュニア対応の臨時定員増というのがまだない時代だったこともあり、就職の見通しなどはなかった。でも、免除職に就くまで待ってくれというのはけっこう待ってくれ、でもって何年かするとけっこう就職があったりして、その結果有能な教員や貴重な研究成果が世に出たというのも、少なからず眼にしてきた。
 これが今は、カチンコチン競争原理になっている。奨学金の種別もいろいろあり、返還免除というのも、競争的になって、かつ枠が少なくなった。
 これは、大学院というのも、博士も含め、別に研究者になるばっかりがのうじゃない、ということにするのだ、ということはわからないことはない。わからないことはないが、あまりたいした計画やリスクヘッジもなく、一気に大きい大学は大学院大学として「(大学院)重点化」しちゃって、でも、教員や学生の意識はついて行っていないし、わけわからんことになっていて、当然急に返せと言われても、払えない人もでてくるわけだが、返さないとブラックリストにのっけてやるで、ナニワ金融道もまっさおなことになるで、とすごんで、どうにかしろよというと、そりゃあ、コミュニケーション能力も何もない大学院生のほうが悪い、みたいな風潮が監督官庁のほうにもある。
 過渡期の中堅研究者で、常勤のない人たちは、非常勤の履歴が切れないと、免除職に就く意志あり、みたいにみなされるらしい。ところが、大学も生き残りを賭けて、非常勤を斬りまくっているし、っていうか、私も岡山で15年以上やっていたところを突然斬られたんだが、「つなげるポスト」も減っている。畢竟、通年だった、隔年や、通年が半期というようなことになっている。うちの大学もずいぶんこういう措置をとった。
 大学側としてはそれでもいいだろうが、問題は斬られる方である。履歴が切れると、研究者として生きていくつもりがなくなった、という解釈がなされ、返還がはじまり、かつ再度「意思表示」をしても、再猶予にはならないのだという。ずいぶん乱暴な解決法ではないか。少なくともいろいろなケースバイケースを考慮しないと、こういう判断はなりたたないんじゃないか。
 非常勤でつないでいる人たちも、そんなに収入として期待しているというよりは、キャリア形成や、研究交流その他で、非常勤をしているのだろうから、あまりお金が欲しいというわけでもないと思う。ただ、いきなり数百万円の借金がのしかかってくるのは、キツイんじゃないだろうか。というような話をしていると、かならず出てくるだろうことは、非常勤手当てを半額にするとか、あるいはワークシェアの問題だろう。半額にすれば、半期は通年にできるし、隔年は毎年にできる理屈である。そう簡単にはいかないだろうし、また、異様に性急な話であると思う。「つなぎのポストづくり」というのは、天下り先づくりと同じとか、茶化される材料になるかもしれないし。
 とりあえず過渡期の人たちで、旧制度で入学した人と、新制度になってから入学した人で、センを引くということは、原理的には問題だろうが、道義的には必要なことじゃないかと思う。専任校のある人間は、じっと黙るべきなのかもしれないが、とりあえずの最小限の移行措置は、それなりに実現可能と思い、書いてみた次第である。たしかに「大学院まで行くような人間」の話ではあるが、けっこうお金を使った国策の結果でもあるのだ。