社会学的想像力ノート4 trap

社会学的想像力 (ちくま学芸文庫)

社会学的想像力 (ちくま学芸文庫)

 書き出しの一文、まだどう訳したのかという問題が残っていました。1日何冊ではなく、1行に何日かけられるかが勝負だ、というような先輩たちにしばかれながら勉強したもので、この一文に一ヶ月くらいかけたわけで、話があちこち飛ぶこともありますが、それだけではありません。


もう一度引用しておくと、原文は次の一文である。

Nowadays men often feel that their private lives are a series of traps.(SI p.3)

個人的な生活が一組の罠なのであって、そこに罠が仕掛けられているわけではない。個人的な生活=生活圏・ミリューとイコールでむすべるかはわからない。ともかく、個人の生活圏は、罠である。生活圏の含意からすれば、可能性でもある。そうならないかと考えた。
で、一組であるとか、ひと連なりであるとか、一つのからくり仕掛けであるとか、そういう訳し方にずっとこだわっていた。編集者は、それを最初の最初から、「罠の連なり」と添削した。確かにリズムのイイことばだと思った。しかし、a series of がどうしても気になる。で、何度もチャレンジしたのだが、OKが出ない。
結局、こう訳すことになった。

こんにち、自分の私的生活は罠の連なりなのではないかという感覚に、人はしばしば囚
われる。

 ゲラを見ながら思い浮かべたのは、むかし皮肉交じりに言われたことばである。「要するに、ミルプラトー俗流にインチキに理解したつもりになっただけぢゃね?」まあたしかに、そんなものちゃんと読んではいないに決まっている。しかし、そういうものが出てきた時代というものは、ちょこっとだけカスっているかもしれない。少なくとも『構造と力』の最初の章だけは、ちゃんと読んだと思う。千のプラトー、千の罠というイメージが浮かび、上記の訳をすることになった。