『「ひきこもり」への社会学的アプローチ』

 さて、いただいた、もう一冊の本だが、共著者の中村好孝氏からの頂き物である。言っていただければかったのに申し訳ない限りである。同氏の研究グループの作った本である。副題の、メディア、当事者、支援活動というのが、端的に目次をあらわしている。まだ出たばかりで、あまりネットサイトへの紹介がないので、コピペができない。であるからして、ここでは紹介しておくにとどめたい。あとで目次を書き足すつもりだ。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4623052370.html
 中村氏とは、授業改善のための研究会みたいなこともはじめている。一ヶ月に一度くらいメールをやりとりするくらいだが、他の仲間も2人ほどいる。そっちのほうの話を書こうかと思ったが、自分の授業への反省として書いておきたい。
 今日は年内の概論が最終回で、授業評価があった。ゼミ決めのあとで、みんなホッとした表情だが、評価は辛辣なものであるのではないかと思う。上級生からのちくりによると、ぐだぐだすぎるというか、なんか充実度が足りないということがあるようだ。あれで大丈夫かなどともおっしゃっていたらしい。もちろん名前を聞くなどという野暮なことはしていない。ある学生には、別の先生は勉学項目がはっきりしていて、テスト前に問題化してくれ、それを説くことで知識が体系的に整理されたが、この授業は漠然としていてつかみ所がない、などとも言われた。非常にありがたいご指摘だと考えた。
 高校時代の英語を思い出す。教科書のひとつひとつの単元について、大量のプリントが配られ、そこには教科書の文章と関わる重要な英文法の公式やイディオムが整然と整理されていた。その背景には、重厚な入試問題研究と分析があることは明らかだった。雑談で、「ようやく昨年のを説きはじめた」などと話されていたことを思い出す。見かけ倒しでない、詳細なプリントをつくるだけではなく、だらだらせず端的に問題形式で整理してあったことは、鮮烈な記憶となっている。
 よい授業を受けて、目の肥えた学生たちにとって見れば、『Do!ソシオロジー』に沿って、近代化と第二の近代化、社会と文化という二つの枠組をひたすらくり返し、私的な体験談などを交えた例をならべてゆく講義は、散漫でだるく映るのだろうと反省しつつある。しかし、私は実はあまり込み入ったことをやり始めると、ゴテゴテしてしまうのである。頭悪いと言われたら、黙って認めてもよい。ただ、たとえばサバを食べるなら、ゴテゴテ細切れにして、凝った料理をするんじゃなくて、塩焼きどーんと一枚みたいなシンプルなのが好きなんだよな、みたいなことはある。
 女子大では、講義改善のための方策として、評価の高い授業を聴講する制度が作られた。ききたい授業が自分の授業と重なったりして、きけなかったが、出てきた人たちの話を聞くことで、代替している。役割分担を決め、細かいユニットでメリハリをつけて、テンポよくすすめ、コーナーコーナーのまとまりがついている。そして、細かに達成感を感じることができるように話が進んでいく。こんな感じだったと思う。
 ただ思うのだが、こういうのはじっくり聞いて、あとは忘れるくらいじゃないといいものはできないと思うのだ。授業の完成型はひとつではない。自分の授業で反応のよかったところ、評判のよかったところを、プラス思考でのばしてゆかなければと考えている。問題は、よくできたと思った講義が、必ずしも評判がよいわけではないということだ。やはりコメントペーパー再開しかないか。理由があってやめていたのだが。
 来年も、概論をするので、少し反省の成果は生かしてみるつもりではいる。テキストは申し分ないので、変えるつもりはないが、スピードを速くする必要があるか、まあ二年ゼミを志望した人にきいてみようと思う。