立教と成城の講義を終えて帰ったら、庄司信クンから訳書が届いていた。字面にやわらかみがあり、彼なりに粋を尽くした作品だろうと思う。エコロジーの問題にとり組みつつ、ルーマンの体系の素描にもなっているなどと解説され、そして『社会の社会』などに触れた解説が手短に施されている。訳文がどのようなものか私には判じがたいが、彼らしい作品に仕上がっているような気がした。『社会と環境の理論』の著者である故田中宏さんなら、どうコメントするか。うかがってみたい気がした。ともあれ、私などに気を遣っていただいて、誠に恐縮である。少々私事を記す。
エコロジーのコミュニケーション―現代社会はエコロジーの危機に対応できるか?
- 作者: ニクラスルーマン,Niklas Luhmann,庄司信
- 出版社/メーカー: 新泉社
- 発売日: 2007/10/01
- メディア: 単行本
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学部から修士ぐらいまではヘーゲル、マルクス、そのあとはハーバーマス他を研究、ドイツに留学してフランクフルト他で直伝の学問をひっさげて帰国し、出した本が奇書『社会の窓』。横山まさみちのマンガのような珍妙な表紙で、笑ったらすげぇ怒りやがんの。配偶者の方がデザインしたという噂もある。東北の大学生たちにわかりやすく社会科学を教えようという庄司クンならではの、純朴な思いやりで綴られた本であることはまちがいないのだが、笑えるんだからしょうがないじゃないか。
しかし、なにをまたルーマンなんかはじめたのかと思ったが、考えてみると唯物論研究協会の人たちで、作品は発表はしないものの読み込んでいる人は多い。とりわけ物象化論などをやっているひとはやはり、パーソンズのシンボリックメディア論だとかの関わりで読み込んでいるように思う。機能主義が出てきちゃったからさ、ルカーチの遺髪を継ぐ者たちは、新保守主義者に漸近するんぢゃね?、ハーバーマスが『ディスクルス』で言っていることから、心おだやかならないものもあるのかなと思う。ちなみに、正直言うと私もその一人なんだろう。ミルズも好きだけど、ニスベットも好きだし。ルカーチについては、ノーコメントであるけど、この論脈だけはちょっぴり関心がある。庄司クンも基本はそうなんだろう、と思ったら、謹呈の紙が付いていて、彼らしい走り書きがあった。公開してイイかどうかわからないけど、批判理論をやっていた人の言として心にしみる者があるように思う。
(フランクフルト学派的な)「批判」でさえ社会全体のコミュニケーションの中でどのような役割を果たすのか必ずしもはっきりしているわけではない、というルーマンの指摘は、「批判」を無条件に良いものと思いこんでいた私に、小さな棘のように突き刺さっています。ハーバーマスとルーマン。この鋭く対立する両者から、今後とも学んでいきたいと思っています。・・・まだまだ力不足ですが、どうぞご笑覧ください。
やっぱり懺悔クンじゃんか。昔なら、とりあえずみんなで体言止めのところをを繰り返し朗読して、「今後とも学べばいいってモンじゃない」「力不足と言えば許されるモンじゃない」とか、勝手なからかいをしたかもしれないが、ここはかれの精一杯の誠意をくみ取るべきところだろうと思った。マルクス主義的な社会科学をやる人の中に、庄司クンや、教育学の安藤聡彦クンのような人たちがいることは、私にとって希望である。そして私のような軽薄な人間に気を配ってもらえることを感謝申し上げたい。