ジェイムズ・クリフォード『人類学の周縁から』(人文書院)

 対談集だし、スルーするかなぁと思ったけれども、帯をみて買わないわけにはいかないと思った。「ヴァナキュラー」の問題を考える上でとても重要な問題を扱った本だと思った。

「理論を地方化する」
「もし私に根がないのなら、なぜ私の根はこんなにも私を傷つけてきたのだろう」
「根rootsと経路routesとのあらゆる戦術的組み合わせを生きる人々にまったく新しい、移動する根づきrootingのイメージを提示する。クリフォード思想の来歴root&routeを明かす五つの対話」。

 最近知遇を得た新原道信氏の『ホモモーベンス』をはじめとする一連のお仕事も想起された。むしろ議論としては、そちらに親近的な論脈だろうと思う。というか思いたい。なぜかと言えば、あまり自分の仕事とダイレクトに関係した文献は、影響されやすく、かぶれやすい性格なので、意図的に避ける傾向があるのだ。私は、カルスタ系と言われる文献はあまり読んでいない。ひらきなおって、クレオールの説明に宮台真司を引用したくらいだ。wだから、『ルーツ』が訳されたときも、スルーしている。しかし、今年は少なくとも新刊はスルーせず買いまくることにしたので、踏ん張って買ったわけである。人文書院HPより。

クリフォード思想の来歴と全体を凝縮した好著
土地と一体不可分のものという「文化」の捉え方はもはや通用しない。現今のグローバリゼーション下の人々のあり方を理解する上でも、また、パレスチナ問題といった現実政治の課題を考える上でも、「文化」や「アイデンティティ」の概念自体を再考しないかぎり、何ら有効な手立ては得られない。『文化の窮状』(人文書院、2003年)や『ルーツ』(月曜社、2002年)などの著作を通じて、いちはやくその方向性を示したのが、本書の著者クリフォードである。人類学の周縁に位置しながら、そこから、人文諸学の地盤全体にパラダイム変換を迫るダイナミックな思想の背後には、近代を脱植民地化の過程とクロスさせながら捉えるような大きな持続的な歴史感覚がある。本書は、さまざまな地域と専門の5人の研究者とのインタヴューで、クリフォードの思想の全体像をコンパクトに提示する好著。