古井由吉『招魂としての表現』(福武文庫)

 私は自分語りや、私小説的なものにずっとこだわってきて、『アエラむっく』で井上俊氏がおっしゃっていたような「私社会学」というようなものがあるなら、それを志向してみたいとすら思っていて、社会学の本としてはたとえばケン・プラマーなどを読み、文学としても車谷長吉であるとか、評論の自分語り論、えっせいの類をいろいろと読みあさってきた。古井由吉のこの本も、正直言うと佐伯一麦が解説を書いているということで、文庫本を書店で手にして、じゃあ買おうと買ってきたのである。もちろん古井由吉の名前は、教科書などで読んで知ってはいたけど、なんかスゴイ人らしいけど「あまりに渋い」とか、紋切り型の片付け方をして、すませていた。92年のことで、自分の本も出していたし、さすがにノーベル賞をとりそうな作家をわかりもしないのに、スゴイということはなくなっていたけど、あてずっぽで本の題名や、作家の名前や、用語や概念や、あるいは誰かの批評をうけうりすることで、相手の思いもかけぬ賞賛などを得ることに期待していたことは否定できないと思う。そういうだらしない物腰に対し、厳しい一瞥をおだやかな表情で投げかける本として、この『招魂としての表現』が存在するようになった。学問や大学のあれこれに嫌気がさしたときに読み返すと、おだやかな気分で、なお厳しくあることを勇気づけてくれるような気がする本である。
 もちろん今はこの本がわかったなどと言い、やくざな名詞や形容詞でこの本を括ることは冒涜に近いだろう。ストンと話を落として、得意げな表情を待ちきれないとばかりに半分くらい表出させつつ、当たっているかなぁと、臆病な様子で相手をうかがうみすぼらしい野心や猛々しさが、愚劣であると同時に、どこまで行っても宿命的なものであり、その間の緊張感、不安定な時々のバランスを、言葉で表現しつつ、その表現行為を定義それ自体として純化することすら、ストンじゃないのとおだやかに笑ってみせる人であり、しかもそれが等身大でありさえすることは、つまり実業の人、勤め人、あるいは職人、肉体労働者等々と同じ目線であることには、腹の底から得も言われぬ感動がこみ上げてくる。冒頭の「言葉の呪術」より。

 私の周囲では、具体的でないことやあまりに一般的なことを口にすること、自分自身のことをくだくだと喋ることが、一種の恥知らずとして忌み嫌われていた。道義道徳の事柄も、実際にその場その場でふくみをもたせて判断されるべきで、それ自体を口にすることは<理屈>として敬遠された。

 とりあえず読み始めて(・∀・)イイ!!と思う箇所であると思う。これ一発ストンで終わりなんてことがないところが、スゴイと思うわけだ。この文章は、実業の家に生まれた自分の出自来歴を述べる大前提で、また即自的(an sich)に評論の始源(Anfang)を表現するものになっている。しかし、これが様々に混ぜ返されることによって、厳しく文章表現というものが、潔癖に問いつめられてゆく。そうした−−あえてバカ面さげた言い方をすれば、−−「精神の運動」のなかに、私小説や、日記や、手紙などもとらえ直されてゆく。

 私小説風の行き方は、虚構を排するというよりは、虚構というものを、ただ<書き表す>こと自体のなかにの虚構にまで純化して、現実と虚構とのかかわりをあらわなかたちで見つめたいという志向であるように私には思える。<透明な文章>などという通り言葉があって、倫理性の証しと考えられているようだが、考えようによっては、大がかりに虚構を展開させるよりは、はるかに深く虚に関わる。

 いろいろな文章が収められている本であるが、阿部昭の追悼文である「わずか十九年」は、なかなかに印象深い。後藤明生黒井千次など新進気鋭の作家を集めた座談会で、古井と阿部は出会ったのだという。編集者は、「新進気鋭」がスパークしてものをいうようにあれこれ工夫するものの、イマイチだるだるな雰囲気だった。そのうちに阿部昭が「自分のは、新しい文学だとは思わない」と言い、それから話がそこそこ流れるようになったという。含みの多い言葉だが、けっして拒絶的にではなく、その言葉は発せられたらしい。

 説明すれば長くなる自分の立場をひとつの縦割りに,すぱっと切って放り出したという気合が感じられた。それからいくらか後年になり、いつ頃のことか忘れたが、おなじ阿部が私をつかまえて、「われわれのは、しょせん、あたらしい文学なんだよな」と正反対のことを言ったのを覚えている。言葉の向きは正反対であるが初対面の時の発言と、おなじ態度の表裏をなすと私は受け取った。これでニュアンスはよく出たとも感じた。ただし、その時の口調はよほど詠嘆的だった。

 阿部最晩年の作品をとりあげて、「切りつめた表現のたたかい」と古井は言う。それは周囲の冷淡さと対峙する孤独な作業である。しかし、それもまた「表現の問題の内」ということになる。しかもそれを理由に、筆を折ったりしない。学問の世界は、比較にならないくらい俗悪無比な面がある。学会のパワーゲーム。それを奨励するオーディエンスの形成。後押しする文部科学行政。まあしかし、そういう物言いも蜜のように甘いのかもしれない。

 楽観も悲観もしょせんニュアンスの違いでしかなくなった年頃に、お互いにすっかり入ったとその時は思ったのだが−−。

 ジンメルやケネス・バークのいくつかの文章とともに、この一文はもっとも影響を受けた文章ではないかと思っている。内容的にもそうだし、「だがけど」調の「精神の運動」もそうだし。まあしかし、拙者は自分の抜き刷りをトイレでにやにやしながら読む人間ですから。。。切腹!!ッテか。アーヒャヒャヒャヒャヒャ。