アルバート・カマス−−翻訳と誤訳

 私の翻訳経験は、語学ができないこともあるけど、大学院時代下訳というのをやったくらいだ。これがめっさいい加減なもので、院生数人で環境問題のアメリカ大統領報告みたいなのの下訳をした。下訳だから、よれよれでもいいと思って、チョーテキトーにやった。金も安かったし。先生からの話じゃなく、先輩がどっかの出版社からもってきた話で、先輩もまあ下訳だからさ、みたいなカンジで。本が出てびっくし。あんまり変わってねぇの。私たちの下訳は、断じて(・∀・)イイ!!ものではなかった。馬路ひどかった。私なんかは、最後は時間がなくて、東急線井の頭線と中央線のなかで、居眠りしながら殴り書きしたのを、清書しただけなんだから。まあ、そんなこんなで、あまり訳書というものを信用していない。
 他方、前にも紹介した『誤訳』の著者や、ミードののぞむちんのように、めちゃめちゃ訳に厳しい人がいる。特に母校の先生たちは、法政大学出版局の某有名編集者をして、偏執的と言ってもいいくらい厳格な訳にこだわると言わしめた、厳格クンが多かった。なんつったって、マルクス研究で『資本論』の初版本使ってないと言って、オトされた人もいるらしい。一語、一文の訳に、辞書を調べ上げ、国内の文献を調べ上げ、足りないと外国に逝き、一次資料にあたり、さらには肉筆資料にもあたる。結果として、佐藤金三郎氏のような独自の方法論を確立した人も出ている。まあそれでも、スミスに関しては、竹内謙二氏にボコボコにされているわけだけど。
 私も、一時は、文献学的なミルズ研究を志向していた。しかし、精神的に調子をくずし、とても外国には行けそうにないなぁと思ったのと、飛行機に乗りたくないとか、外国に適応できそうもないとか、いろいろ理由をつけて、テキサス大学イカーテキサス歴史センターのミルズペーパーズを閲覧しに逝くことをしなかった。閲覧権や複写権は得て、手紙も出したんだけど。私の場合情熱が続かなかったことと、果てしなく長い時間がいる孤独な作業にたえられなかったのかなぁなどと思っている。なお、日本で、そこまで行って資料をみてこられたミルズ研究者としては、高橋肇氏などがいる。
 だけど、人の誤訳を探すのは、蜜のように甘美な作業であるよね。なんか訳本読むと、そこそこ誤訳は見つかる。先輩の研究者が「ダメだよなぁ、こんな訳していたら」などと言うのを聞き、(・∀・)イイ!!と思う。でもって、ちょっと上級生になると、マネをする。「こんな高校生みたいなミスしてたらダメなんだよなぁ」。もう鳥肌もの。こういうのは、成長のお約束みたいなものであるよね。
 ミルズの誤訳は随分見つけました。とある訳本を読んでいたら、「統覚的大衆」という訳語がありました。わけわかめ。なにこれ?と思い、原文をみました。「アパーセプティブ・マス」。調べたら、ヴントの概念で「統覚量」と訳すのが、当時の心理学の定訳だった。実験心理学の祖と言われ、心理学の実験室をはじめてつくり、生理学の成果なども採り入れて、心理学を展開したヴントだけど、前頭葉にこのマスがあって統覚しとるっつーことで、こてんこてんに批判された。んなもん観察できねーじゃん。アホか、って。ミルズも、ミードに影響を受けこの文脈をなぞっているわけだけど、訳者はミルズだから大衆と訳したんでしょうね。ただちょっと自慢をさせてもらうと、私はこれはもしかすると誤訳じゃないかもしれないと思い、かなり時間をかけて考え、その後も考えつづけ、今もまだあきらめていない。馬鹿だとワラワバ笑え。そういう愚直をウリにしたいんだよ。オレは。っつーか、それしかねーの。もう一つ、『パワーエリート』を英語で読んでいて、一個所ものすごく難しい段落がある。何度読んでもわからない。で、訳本をみた。そしたらさ、その段落訳してねぇの。ワロタよ。これは版の違いカモとは考えなかった。ただ確信犯とは思わなかったけど。
 告白します。自分も恥ずかしいミスをたくさんしている。はじめて本を出したとき、パーソンズの出版年をいくつか誤記し、かつとある先生の著書の出版社を間違って書いた。そしてそれをその先生に献本した。パーソンズの訳書も出している先生。怒られました。必ず封書で返信を下さる先生で、シビアですが、申し訳ない気持ちで一杯でした。もう時候だから言いますが、これは私の誤記ではありません。ただ、確認ミスであることは誤記と同じです。でも、墓場までもって行くほどボクは器が大きくありません。ちなみに、同書で学位申請するときは、修正をかけた版でいたしましたので、その辺にぬかりはありません。
 が、修士論文では、モロやりました。「アルバートカマス」。後藤隆氏「このアルバートカマスってスペルミスじゃないの、カマスの方。これどんな人だ?」。アテクシ「ミルズとドワイト・マクドナルドがアメリカの論壇に紹介した知識人だよ」。後藤氏「カマスのスペルは?」。アテクシ「シーエーエムユーエス」。後藤氏「おまえさ、それカミユだろ。アルベール・カミユ。つまりミルズたちはカミユをアメリカに紹介したっつーことにならねぇか?おまえばかじゃね」。アテクシ「馬路?そうだったのかぁ・・・」。後藤氏「バカじゃね。アヒャヒャヒャヒャ」。当然これは審査員たちの知るところに。佐藤毅氏「審査後でよかったなぁ。昔だったらこれだけで落ちるぞ。しょーがねぇなぁ。わはははははは」。アテクシ「んなもん、気づかない審査員三匹が悪いんじゃないッスカ」。佐藤氏「がはははは。そうカァ、しょうがねぇなぁ、君も。がははははは」。浜谷正晴氏。にやっと笑っただけ。油井大三郎氏。歴史学者は厳しそうだし、ゆってません。ゴメンナサイ。ちなみに、証拠品は母校の図書館書庫にございます。が、大部なので探すのは大変ですよ。ホホホホホ。