洋書の読み方について3−−大学院受験者に助言したこと

 餓死するまで食べなかったら、すごい痩せるかもしれないなどと思いつつ、やはりメシ喰おうと気合いを入れて、吉祥寺までチャリで出る。なにを食べようか、上野まで豚カツを喰いに行くかなぁと思いつつ、とりあえずパチンコをしてさらに空腹は増す。頭を空っぽにするにはパチは実に(・∀・)イイ!!。で、結局高円寺で阿波踊りでも見ながら、味噌一でラーメンでも喰うかなぁと思い電車に乗るも、途中で富士ランチのサービスセットが食べたくなり、阿佐ヶ谷で下車する。チキンカツなど、とても柔らかくてジューシーなのだが、下ごしらえをみて得心。肉への包丁の入れ方、その後の段取り、揚げ方など、職人芸がここにもある。その後、大型書店に行こうかなぁと都心に向かうが、かったるくなり引き返し、ユザワヤの地下にできた本屋へ。これが十時半までやっているのは本当に助かる。社会学の本は、たぶん吉祥寺で一番充実しているんじゃないかなぁ。なじみの新星堂ブックオフとともに、巡回のコースになることは必定である。
 時折ロムらせていただいていたid:editech さんからのトラバがうってあって、みたら洋書の読み方についてのネタをウプしていただいていた。調子にのって洋書の読み方について書く。できる人が書くものも意味があると思うけど、大学受験の参考書なんかを時折見に行く私程度の人間が論じるのも、それはそれで意味があると思うから。
 editech さんのサイトに、伊藤和夫氏の参考書が採りあげられていた。伊藤氏の『英文解釈教室』という参考書は私たちの時代にはなかった。この人は、私の実家の近くにあった、山手英学院という有隣堂一族の一人がやっている予備校の先生だった。それが駿台に引き抜かれたという話。大学受験の参考書なんかはつかわないというすごいのもいるにはいるけど、そんなことないよ。私が使ったと言っても、おまえみたいなのはしょうがないとかゆわれそうだけど、他にもいるよ。たとえば、駒場で社会思想教えているうちのスピノザ研究者の方。学部の時一緒のゼミだったけど、大学院受験の時には『試験に出る英単語』使っていたし、「これもつかっているのよね」とか言って、『試験に出る英文解釈』みせてもらったもん。でも院に入って、英語、ドイツ語、オランダ語ラテン語・・・ッテ読めるようにしていったわけだし、一時出産、子育てして専業主婦していた時期もあるわけだし、紆余曲折経てもギブしなければ、できるようになるっていうことですね。
 どこかで集中的にやれば、ぐーーーんと伸びる時があるということだと思います。大学院受験者には、そういうことを必ず言います。五年やったら、論文書かなくても、教員がコネで就職見つけてくれるなんて思っているとんでもないのもいるから、とりあえず橋本努氏のサイトにある合格体験記と、研究人生を読ませます。こんなカンジ、「この合格体験記読んで、正直言って、俺は馬路泣いたよ。理由はワケわかめだけど、こんな頑張っている椰子もいるんだなぁって。そんなんでも一回落ちているわけだぜ。でもしかインシン−−しけべ?おまえセンスよ杉。昔は大○○とゆわれたもんだ、わら−−単著出して、学位とって、レフェリー付きの論文書きまくっても、非常勤がやっとの世界なんだぜ」などと脅かします。すると、「あんただって就職してるだろ」とか言い出すのもいる。「あのころはバブルだし、団塊ジュニアが進学時期で定員が増えたし、新制大学でわーっと大学教員になった人たちが定年になっていったし、今とはぜんぜん事情ちがうからね」とか釘を刺す。
 その後で洋書の読み方。参考書で、単語と構文チェックしろという話をします。でもって、ギデンズを英語で。ただ自分の研究に必要な英文の本や論文をを読むのが基本だと、再三強調する。このとき、「大学入試の頃の実力に戻せよ」と必ず言います。とりあえずそれでプライドは保てるから。でもって勉強会を始めると、訓練することは、どこでも言われていて、やられている

・英語の流れの通り読め。眼を戻すな。→→→の方向に読め
・名詞を「読みほどけ」。西欧語独特の英語の論理的凝固を読みほどく。

の二つだけです。学生時代堪えがたい嫉妬を感じたできる人たちの訳し方を思い出しながら、英文の息づかいとかニュアンスを感じてみたいという祈りをこめて読む。w →→→の方向をたどってゆくと、論理がほどけて、意味を簡明に端折った達意の日本語へと英文が組み替えられ、紡ぎ出されるはずだ。そんな魂のシャウトをくり返すと、「理屈はいいからやってみろ」などとゆわれる。そういうときは、ニャハっとごまかす。w
 実はこれはいろんな本のうけうりなんですね。たとえば、tyadonさんと共通体験を言えば、オリオンの思考訓練、『英文をいかに読むか』、佐々木高政氏の『英文解釈考』。ただ、こげなおそろしか本を理解したなんて言えません。最近出たもので特に影響を受けたものとして、学生には、安西徹雄氏の『英文読解術』(ちくま新書)、『英文翻訳術』(ちくま文庫)、『英語の発想』(同)、行方昭夫氏の『英文快読術』(岩波)の三冊を薦めています。受験の為に読むならやめろ、むしろ面白い本として読んだ方がいいと言っています。
 理系では関係ないのでしょうが、文系的な文章の場合、「読みほどき」は必須で、その要にあるのは「名詞(化)表現」だと思います。オリオンの思考訓練は、戦慄が走るような難しい例がならんでおりますが、安西氏の『英語の発想』は、この「名詞の翻訳」を骨子として、発想の違いについて説明しております。これが非常に面白い。

 In the study of the behavior of the higher animals, very funny situationns are apt to arise, but it is inevitably the observer, and not the animal, that plays the comical part.(Konrad Lorenz King Solomon's Ring, Eng.trans.M.K.Wilson)

   この英文を例に、安西氏は、(1)名詞表現を動詞で読みほどく、(2)モノの主語を人の主語に変える、(3)重要なモノは前ではなく後ろへといった、日本語の発想を説明している。この英文どっかで見たことあると思ったら、何年か前に駒場の入試に出てたね。別に予備校教師気どりするわけじゃなく、うちのゼミ生で受けたやつが勉強していたから覚えている。安西氏の文章を読むと、出題に戦慄を感じるくらい感心する。こういうものをながめつつ、自分でも当番が当たり英語の入試問題つくるようになって、英文の読み方が変わった気もする。ここ出せないかなぁ・・・とか、考えるようになった。そういうことを考えるところって、英文解釈っていうよりは、イイ社会学的読み込みができているように思う。  大学院で鍛えられるわけだけど、絶対あきらめないでくらいついて行くことだと思う。いろいろ読まされたけど、一番辛くて、思い出深いのはリンドの『ミドルタウン』正続を、浜谷正晴氏、藤村正之氏、後藤隆氏たちと、二年かかって読んだことだ。これが泣きそうに大変。アメリカの中西部のマンシーでの参与観察であることは誰でも知っていることだけど、当時はまだ訳がなくて、いろんな街の文化とか、当時のアメリカ文化なんかをよく知らないとわからないところがある。英文科じゃないから、OEDみたいなのから、俗語辞典まで調べるなんてことはなかったけど、それでもそれなりに辞書をひいていかないといけなかった。私は段落に見出しを付けた程度のレジュメをつくっていっただけだけど、後藤、藤村両氏は、さすがにフィールド研究などもしているだけあって、重要な文書を抜き書き、訳出していた。両氏が重厚な作品をその後発表しているところからしても、その読み方が正しいのかとも思っている。  早く読む大学院では、1回50〜100ページ進むらしい。まあいちいち訳さなくても、論理構造つかめりゃいいわけだろうけどね。はっきり言って、私はそんなに早く読めません。自己嫌悪。