アテクシの50冊

 仕事して、ジムで泳いで、十一時半に帰宅。うだうだして、ちょっと仕事して、「お台場明石城」をみる。今日はプレゼン。な、なんと、チアガールやってたドムネェ登場!!山本布美江っつーのねこの人。「明石家さんまの恋愛上手」という企画を出して、恋からの男性いじりバージョンみたいなのを提起して、けっこうウケていた。しかし、あのチアガールのわいるどで筋肉質な踊りが放映され、すべてはぶっとんでしまいますた。企画的にはともかく、あれは笑えるし、ドム@ガンダム萌え系には萌え萌えでしょうね。ローライズ高山樹里ソフトボール以上とゆったとある有識者は、「でもあの番組の『へそ』は、やっぱ『水口クン』の笑顔ダベ」と鋭い指摘。たしかにそうかもとおもいますた。でもって、少しまた仕事をして、ぶろぐ。暇じゃないんだけどなぁ。たぶん一日書かなかったら、しばらく書かないと思う。
 とある元受講生から「反面教師は50冊選ばないのかYO、アヒャヒャヒャヒャ」などとゆわれ、そうゆーのが話題になっているのはわかったものの、最初のうちはわけわかめで、でもっていろいろ聞いて調べたらわかりまして、アヒャヒャヒャヒャでござりますた。リストにつきましては、やはり儀礼的無関心こそがイキというものでございましょう。なら言及するんじゃねぇYOとかゆわれそうですけど、要は50冊という趣向に言及してみたくなったのでありんす。
 一つ目のポイントは、森毅とかなら、そんなものはこっちが指定するんじゃなく、学生につくらせたほうが勉強になるんじゃないかとか言いそうだよねってことなんだけど、多少背伸びして、読んであってもなくても、いろいろ見栄をはってみることも、重要なんじゃないかなぁと思います。後期の試験問題にしたら、さすがにパニックだろうね。50冊あげて、一行ずつ寸評。持ち込み不可即題。どうなるんだろう。レポートなら、さほどミゼラブルでもないかもしれませぬな。まあただ、教師に対して見栄をはるよりは、後輩とかに見栄はったほうが勉強になるかなぁ、などとも思うわけです。ただ前者だって、「教師に対する見栄」というものが、応分に内省的に提示されれば、そこそこおもしろい気もするわけでして・・・。要は、昔広松渉がテストに出したという、「予想問題を書き、模範解答を書け」っていうのと似たことになるのかな。まあ、こっちの方は岡大で真似したら、予想問題=「予想問題を書き、模範解答を書け」、模範解答=「予想問題を書き、模範解答を書け」、以下無限に続くという解答が出てぶっ飛んだんだけど、50冊ならその心配はないかな。
 こーゆーのは、すごく嫌う人と、萌え萌えな人と両極端な気がします。アテクシは後者で、大学に入学したときには、自治会の先輩がつくったリストを頼りに随分本を読みますた。マルクス系の傾向図書が多かったけどね。「マルクス学っつーのは、10個もタームを覚えれば、ガンガン難しいことが言えるようになります」とか書いている人がいて、この人はホンモノだと子供心に思ったものであります。岡山に赴任してからは、同僚の玉真之介氏らと教養部に入ってくる学生のために小冊子をつくって配りました。いろんな先生にアンケートとるかたちでつくったんですが、けっこうこれは好評でした。女子大でも学友会が同様のものをつくってました。
 で、なにを書いたかと言いますと、たしか近藤ようこ『見晴らしが丘にて』(ちくま文庫)=「かわいい人」に描かれたかわいさを味読されたし。上村一夫『一葉裏日誌』(小学館文庫)所収の「帯の男」=「くずれ」への感性を磨かれたし。三島由紀夫『不道徳教育講座』(角川文庫)=「もてる」こととはなにかっつーことかな。岡大の時は、三島と、あと石牟礼道子『椿の海の記』(朝日新聞文庫)=影響を受けたからっていうこと。室生犀星『我が愛する詩人の伝記』(中央公論文庫)=高村光太郎論の劣等感と憎しみと尊敬の混在を味読すべし。ついでに言えば、富岡多恵子の評伝における犀星の思い出は泣けるくらい美しいとか、ほざいたもんだなぁ。文学が多いのは、やっぱ劣等感だと思う。大学に入って、友達と詩の話をしていて、「キミの話す詩は国語の教科書にのっているのばっかりだね」と言われたことは、たぶん一生のトラウマだと思う。今考えてみると、高一の時国語を教えてくれた井津佳士という先生が優れていて、無意識のうちに影響を受けていたというだけのことなんだけど。そんなこともあり、今では、知識の競い合いをバトってくる輩は馬路ウザイ。バトるなら感覚と論理というと、コラ調子にのるなと怒られそうだけどね。
 ほんとは、一番影響を受けた作家は太宰治でも、坂口安吾でも、石川淳でもなく、深沢七郎でもなく、もとい三島や渋澤ではなく、遠藤周作のぐうたらシリーズが関の山だったんだけど、見栄がありまして・・・。自分に影響を与えた本。中学高校〜大学=遠藤のぐうたら。大学院〜岡山=片山まさゆきビートたけし西原理恵子。身体化されるまでになっているのは、これだけかもしれない。亀井孝田中克彦、良知力・・・なに読んでも、「面白い」ってことの骨格をつくったのは、極言すればこれだけだろうな。あとは伝記だね。ガキの頃から、伝記、自伝、評伝は読み続けている。研究者の自伝や評伝は、文庫とかになっているものは、ほとんど全部読んでいると豪語したい。学生の自分語りも退屈することがない。いくらでもきく。面倒見がいいなどと誤解する学生がいるのは、たぶんこのせいだと思う。
 二つ目のポイントは、一冊でもイージャンってこと。だって50冊だけど、丁寧に教え込むタイプじゃないし、どう考えてもめんどう。昔、私が学生時代、良知力が学生向けに読書案内を書いていて、もう一度学生に戻れるとして、夏休みに読むなら『資本論』、もしそんな時間がないというなら上原専ろく(禄の字は違う字で、この点は全集編者も猛抗議しているのだが、今は時間ないし、ひらがなで書く)『歴史的省察の新対象』をあげていた。「世界史学」を継承する宣言で、このあと間もなく良知は『向こう岸からの世界史』を執筆した。二つの書物を比較して読むのは面白いと思うけど、呉智英の上原論を併読しないといけないかなぁ・・・。
 で、私が学生時代に戻れるとして、夏休みに読むなら、もしそんな時間がないとしたら・・・なんだろう。前者は、パーソンズの『社会的行為の構造』。学部時代にこれを読んでいたら、人生がかわったと思う。後者は、うううう、気合いで言えば、上山安敏『神話と科学』(岩波現代文庫)かな。あすはいよいよワールドダウンタウンだ!