難波功士『人はなぜ<上京>するのか』

 難波さんがまたまた本を送って下さった。ブログを見ると、献本の工面が大変とか書いてあったので、申し訳ないかぎりです。後輩の佐藤達郎氏も、難波さんにはご配意いただき恐縮しきり、と言っていた。表敬するとともに、心よりお礼申し上げたい。ありがとうございました。

本の内容は、アマゾンさんによると、「上昇志向か、漂流なのか、それとも「何気」に?若者たちは何を求めて東京に集まるのか―『坂の上の雲』の時代から、団塊世代集団就職、ギョーカイ人の時代を経て、『下妻物語』的ジモト志向に至るまで。時代により変遷する上京への社会意識をたどり、人口一極集中の本質を追う、はじめての“上京”論。」ということだが、逐一の紹介は次のブログに詳しい。一章ずつ丁寧に要約されている。
http://tsunoken.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-90a5.html
 この他にも、各種ブログで言及されている。上京の社会史、とも言うべき書物である。
 私は、その昔若者論の本を書いて、その本の中で上京文化ということばを用いた。東京から岡山に赴任して、そこで出会った大学生たちの東京志向、地元志向などと向かい合い、そしてそれを東京から岡山にやってきた自分の有り様と照らし合わせながら、浮かび上がった情動をなんとか論理化しようとして、集められた事実を括りとろうとしてこのことばを用いた。その後、小林キユウを読んだりしたし、見田宗介の歌謡曲論を読み直したり、さまざまな調査を集めたりした。しかし、上京文化と洋行文化、同じ枠組からみた地方文化と女子大文化などと、食い散らかすような論をチョボチョボ書くだけだった。とある編集者から、上京論なら上京論で、腰をすえて、ひとつのことをじっくり深めてみたらどうなんですか、などと言われたこともある。
 理由は、結局自信が持ちきれなかったということじゃないかと思う。地方のことを論じるときに、どうしても筆致がふやけたものになりがちだ。歯の浮いたような美化をしたりしていないか、と言われたこともある。小谷敏さんと厳しいやりとりをしたりしたことも思い出す。ひらきなおって、「都落ち」論でも、と思ったこともあったが、それが何らかの構造をザックリ明視するものとは思えなかった。
ジモト志向については、青少年研究会であるとか、その他の若者論も注目するところだし、社会学会のシンポジウムでも取り上げられ、辻泉さんや太田省一さんたちが、論を展開していた。たしか、難波さんも登壇者の1人だった。そのときは、よさこいの話が強烈な印象になって残ったんだが、その後難波さんは議論を練り上げ、ひとつの書物にまとめられた。
 研究史上の位置づけは明確であり、「時代により変遷する上京への社会意識をたどり、人口一極集中の本質を追う」という問題設定も明晰である。時代区分もシンプルだが、学会シンポジウムの問題を射貫くものになっている。そして、歴史学出身者らしい史料捌きなのだが、その一方で、ポップな読みやすさを兼ね備えているというところが、ひとつの芸なのだろうと思う。もちろん書こうと思えば、歴史系の出版社から、重厚な史料でガッチリ武装したものも書くのはおちゃのこなんだろうと思うんだが、読みやすい作品群をたくさん発表されている。辻さんたちの本は英訳されたわけだが、難波さんはどういう計画を立てられているのだろうか。つーか、もうでてるのか???
 私としては、どちらの方向に行くかと言うよりは、本書のジモト論当たりの議論と、族論の一番新しいあたりと、その他いろいろな議論を重ね合わせて、自分の議論に活かしてゆきたいと思う。