宮入恭平・佐藤生実『ライブシーンよ、どこへいく』

 昨年秋くらいだったか、宮入恭平さんより本をいただきました。お礼が遅れてほんとうにすみません。ほとんどお話をしたことがない状態なのに申し訳ない気持ちで一杯です。

ライブシーンよ、どこへいく

ライブシーンよ、どこへいく

アマゾンの紹介:
CDの売り上げ減に苦しむ音楽業界だが、それに反比例してライブコンサートやイベントは市場規模が拡大している。ライブ産業の全体の動向を踏まえながら、ライブハウス・クラブ・フェスティバルなどのイベントから、ストリートや発表会などのミニマムなライブ、インターネットやアキバ系まで、各シーンの状況と今後・可能性を描写し、ライブの未来を展望する。

前にも書いたのですが、宮入さんのことは最初の著作から注目していました。ポピュラー音楽学会の雑誌にタネンバウムの訳業書評を書かせていただいたこともあり、現代風俗学研究会や社会学系の学会報告などを聴かせていただくようになりました。
 宮入さんのお仕事に注目したのは、ライブハウスについての調査を踏まえた研究であることもありますが、ポストサブカルチャーの研究動向を踏まえた研究とお見受けしたからです。今回の著作の鍵語でもあるシーンの概念もそうした動向の中で、検討されてきたことばでしょう。つまりは、明確な対抗の動向とはことなる、微細な徴候を読み解く装置がいろいろ検討されているなかに、この概念は位置づけられるのでしょうし、それにより一見どうでもいいような表現の中に、文化を読みとってゆくような方向性が、この概念には込められているように思ったわけです。私自身も、そうしたものとして、この概念を拙著『サブカルチャー社会学』で用いました。
 ところが、最初のライブハウス文化論においては、ノルマ制の解析に焦点が置かれていて、経営者儲けてんぢゃねーぞ、みたいなシャウトが横溢しているカンジでした。質問させていただいたこともあるのですが、自分もミュージシャンで・・・などと語りはじめ、なんかルサンチマンをシャウトするみたいな語りをしゃらっとされます。で、アメリカにいって、ニューヨークとかならともかく、オースチンみたいな町でもライブハウスがたくさんあって、ぜんぜん日本とは違うし、・・・などと語り、さらに日本で、ライブスペースみたいなところにいってみたけど、客は1人もいないし・・・などと語りはじめました。タネンバウムの立論の力動に感銘を受けていた私はちょっとがっかりしたりしました。
 でも、なんかその表情はニコニコしているし、楽しそうで、ゆるくて、でもって、写真やことばで切り取ってくる、文化シーンのようすは非常に説得力があるものでした。今回の本も、表紙、装丁から、本文の編集まで、とてもされおつで、じつにかっこいいものになっている。しかし、その一方で、ライブ産業についての分析も添えていて、けっしてそれを態とらしく美化したりはしていない。タネンバウムの地下鉄ミュージシャン研究もそういう構造分析はしっかりしていたのを思い出しました。
 一方自分のサブカルチャー論は、地方都市で文化活動をしている人たちの可能性をかなり丁寧に描いたつもりが、映画館をめぐる産業構造などについては、いささかお粗末で、その点を長谷正人さんからご批判いただいたりしたことを思い出しました。そういうわけで、本書の方向性は基本的には正しいと思うし、じっくり勉強してみたいと考えています。そのなかで、シーンの概念がどのように効いてきているのか、じっくり検討してみたいと考えています。