船津衛『コミュニケーション・入門 -- 心の中からインターネットまで 改訂版』

 有斐閣のアルマが送られてきて、また営業サイドの方が、教科書に使ってチョ、みたいなことなのかと思ってひらいたら、船津衛先生よりの献本で、恐縮しました。ありがとうございました。
 本は、先生独自のミード理解を基本に置きつつ、自己関係、2者関係、3者関係、そして小集団、組織、コミュニティ、集合行動から、マクロなマスコミ、国際社会へと、さまざまな水準のコミュニケーションを取り上げ概説した本で、船津社会学の理論的体系化をも視野に入れたテキストであることがわかります。こうしてみてみると、若手が盛んに研究しているモバイルコミュニケーションから、地域情報化まで、非常に広範な研究に先生が取り組まれてきたことがわかります。
 私の学問人生は、船津先生の『シンボリック相互作用論』を下敷きにしてミードとミルズを読むことから始まりました。始めて論文を出したときは、面識もないのに送りつけたりして、若気の至りと言えば至りなのですが、封書で返信をいただいたりして感激し、以降何かを出すたびに送らせていただいています。しかし、なんか厚かましい気もして、ご挨拶などをしたことがないまま30年近くがたちます。

コミュニケーション・入門 改訂版 (有斐閣アルマ)

コミュニケーション・入門 改訂版 (有斐閣アルマ)

 自分の心の中,他の人との会話,集団やコミュニティ,ケータイやインターネットなど,現代のコミュニケーションの姿を理論的に整理し,豊富な事例に触れながら,これからのよりよきコミュニケーションのあり方を探っていきます。


序 章 現代のコミュニケーション
第1章 人間のコミュニケーション
第2章 自我とコミュニケーション
第3章 人と人とのコミュニケーション
第4章 電話コミュニケーション
第5章 集団・組織のコミュニケーション
第6章 コミュニティ・コミュニケーション
第7章 集合行動・社会運動のコミュニケーション
第8章 マス・コミュニケーション
第9章 国際コミュニケーション
第10章 高度情報社会のコミュニケーション
http://www.yuhikaku.co.jp/books/detail/9784641123960

 船津先生と言えば、ブルーマー対ルイスという対立図式で言えば、ブルーマーよりの解釈をとっている人、というステレオタイプがあると思います。まあ、この対立図式自体があやしげな部分もあり、ベイルズとルイスは一枚岩とは言えないでしょうし、イリノイ学派・アイオワ学派と一括りにできるわけでもないし、他方シカゴとカリフォルニア、そしてテキサスでもいろいろ違いはあるでしょうし、だいたいにおいて土地の名前で区別できるわけもないわけであります。
 このテキストにおいても、ヴント批判が取り上げてあり、安直な実体論と自己を峻別する船津先生の意思は明白です。70年代にすでに「自我論と物象化論」という論文を書かれ、当時の学説史的な問題にコミットされていたことや、森常治先生のケネス・バーク論集に寄稿されているなどバークとミード、バークと社会学というコンテクストにおいて、業績をつまれてきた研究者であることなどが思い出されます。『自己と他者の社会学』においても、微妙な主語的な自己と目的語的な自己の玄妙な関わりが明晰に論じられていました。
 カッシーラが提起した問題に対するハイデガー的なコミットメント、プラグマティズム的なコミットメント、両者の鋭い技術論的対立、重化学工業化を背景にした社会の融解と自己の不安定、生命のほとばしり、そして規範構築的な全体論といった学説史的なコンテクストは、今なお様々な意匠で括りとられ、方法化もされているわけですが、三木清、戸坂潤、中井正一といった人たちは同時代的に感じ取っていたことなわけです。それが清水幾太郎の『現代思想』他などの著作へと展開され、さらにそれを引きついで歩まれたのが船津先生の世代ということになるかと思います。ミードの主語的な自己と目的語的な自己というのは、学説史的なコンテクストにバーク的な表現を与えたものでないか、と私は考え、大衆論の本などで論じて来ましたが、改めてその仮説について再確認した次第です。
 関東社会学会では、公共性論の新展開について、アレントを基軸にして考えるシンポを企画中とのことです。こうした視点からも本書が提起する論脈は、バウマン、ギデンズ、ベックというような今日の潮流とも照らしながら、繰り返し味読されるべきものであるかと思いました。