ノートタイム

有心論

有心論

 やっつけ仕事で書き上げた論文のゲラがようやく届く。9月締め切りだったので、推敲もあまりせず出したので、かなり文が乱れている。このブログみたいに、一度書いたらなぁ〜んにも直さないということはないから、これほどの乱れはないが、かなり朱筆を入れている。性格がいい加減なので、「ように」「様に」とか、「等」「など」とか、「いう」とか、そういうのを統一して直せると助かるのだが、校正ツールとかには引っかからない。たとえば、「性格付け、位置づけ」というのは、自分で発見するしかなかった。なんかいいツールないものですかね。
 昨日の最終講義で、“substantive”という言葉について教わってきて、早速『社会学的想像力』の原典にあたるが、当然索引にはない。Google books というのは、とっさに本を読むには便利だ。手ぶらで移動しても、原典を閲覧できる。でも、テキストベースじゃないから、検索はできない。同じやるなら、テキストにしちゃって欲しい。w マルクスエンゲルスのレキシコンどころの騒ぎじゃない使い勝手だと思うし。というか、今話題のグーグル携帯が、ドキュメントから、ブックスまでフォローして、電車で移動中サクサク内外の論文や著作が読めるなら、今の契約途中で打ち切っても買いたいわな。しかし、便利になったもんだとは思う。携帯は贅沢にしても、ともかくこれでかなり荷物が減って、肩こりも軽減されたことだけは事実だし。
 しかし、講義は、プリントやパワポよりは、板書の方がずっといいんじゃないかと思っている。仕方なくプリントを作っているが、板書で書かせた方が勉強になるだろう。岡山時代の同僚で、チョーク何本使ったみたいな話をしたのはなつかしい。当時としては、オニのように板書するのが親切な講義で、一切板書しない先生も多かった。しても、書取の難しい漢字や、人名、テクニカルタームなどくらいか。
 板書をせず、ゆっくり論理的に話し、それをノートさせる努力をしている人もけっこういた。まあ、プリントや板書に頼らず話した方が、おそらく聞いている方もわかりはいいはずなのだ。しかし、モンダイは、みんなそれをかたっぱしからノートしたがることだ。教師になった一年目は、ノートタイムを与え、それ以外の時間にノートを開くことを禁じた。しかし、みんな板書するといつの間にかとり始めている。注意してもダメ。で、諦めた。諦めたけど、板書したことしかノートしていないのもいて、なんだかなぁ、と思ったりした。今はこれが可能になっているかもしれない。
 一度やってみようか。ノートタイム方式。学生は指示通り動く人が多い。宿題を出せばやってくる。というか、出すことを望む人も少なくない。(その代わり自主的とかいうと絶対やらないのが多い。)だから、ノートはノートタイムにと言えば、守るかもしれない。これは実は、教職の英語科教育法で習った方法だ。ノートの時間を設けて、まずは耳から、眼から、口から・・・というようなカンジ。耳慣らしをして、口慣らしをして、その上で最後に理解をノートに書き付ける。その間に、学生のところを回って、質疑などもする。これをやったらどうなるんだろうか。
 閑話休題。ミクシのニュースを見ていたら、意味の分からない昭和語というのがあった。「可取り専攻」というのは、お初だった。ボクらの頃は、可山優三といっていた。ダジャレはともかく、笑ったのは一位。

60年以上も続いた昭和時代――平成生まれはもちろん、昭和生まれの人でも知らない言葉があるのは当然のことですよね。「意味がわからない昭和語ランキング」で1位に選ばれた《キモサベ》は、1950年代に日本で放送されていたアメリカの西部劇ドラマ『ローン・レンジャー』の登場人物トントが、主人公のローン・レンジャーを呼ぶ時に使っていた言葉。「信頼する友達」という意味を持つこの言葉は、ドラマのヒットも手伝って当時はかなり流行していたそうです。
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=45&id=1085621

 よくわからんが、これはたしかによく言っていた。うちらだけかと思ったら、かなり流行っていたとはびっくりだった。