濱谷正晴師匠最終講義

ひこうき雲

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 1月21日は学生時代の師匠のひとり濱谷正晴さんの最終講義という知らせがあり、誰が来てもいいよ、ということだったので、師匠の最初のゼミ、最初の講義、最初の院ゼミを聴いた人間としては、やっぱ最後の講義も聴いてシメもしないとあかんなと思い、一限だけど出かけた。
原爆体験 六七四四人・死と生の証言

原爆体験 六七四四人・死と生の証言

 学部でも院でも正式の指導教員だったわけではないし、専門もぜんぜん違うし、学問姿勢も、生きる姿勢も正反対に近いと思うけど、ときおりものすごく怒られたり、あるいは突然口をきかなくなって黙り込んだ姿を見せつけられたりして、学んだことは大きい先生だった。なんども話したことだが、私が就職するときに自分が書いた論文などをすべて複写製本して記念品としてプレゼントしてくれた。思い出す度に、追い出しコンパで奢るのが関の山の自分が情けない気になる。w
 早く出すぎたので、谷保経由で行ってむかし住んでいたあたりを散歩することにする。桐朋北の大学院時代のアパートはそのままあった。となりの成城U先生が住んでいたアパートは、なんか綺麗なコーポになっていた。そこから、中和寮方面に向かう。寮は建て替えかと思ったら、補強工事がされていただけというカンジ。中から女性が出てきた。今は混住なのだろう。そこから旭通りを駅方面へ歩いたが、知っている店は時々焼肉定食を食べに行った蕎麦屋くらいで、レモンの木もなにもなかった。油そばの三幸は、昔の位置とは違うところに移動していた。一番驚いたのは谷川書店で、昔はスゲェ小汚い古本屋だったのが、ビルの一階に鎮座してたのには驚いた。
 で、教室へ向かう。学生時代を思い出して、生協前でコーヒーでも、とか思ったが、時間がなくてやめた。教室は本館36番。記憶に間違がなければ、先生の最初の大教室講義はこの教室だったのではなかったか。石田忠先生の最終講義は、奥の一番大きい部屋だと記憶している。昔は長椅子で、タバコすいながら受講とか、ひどいカンジだったが、今は階段教室になっていた。
 まだ開始だいぶ前なのに師匠は、黒板に向かって黙々と板書していた。プリントは、ほんの一部をコピーし、サイドラインを引いた資料が三つと、レジュメの二種類で、丁寧な教育ぶりが伺える。資料は時々黙読させている。昔、丁寧に輪読しよう、と提案した濱谷さんに、そんなことやってられねぇよ、みたいに言って、ゼミのやり方を変えさせたことなどを思い出した。音読して輪読することの意味は、いろいろ失敗を重ねた今から考えると、よく理解できる。
 授業は社会調査論で、一年の総括のような講義。被爆者研究と調査過程論について、各種モノグラフを手がかりに、重要ポイントをイメージ豊かに示してゆく。語り、問いかける様子は、三十年以上全く変わらない。武器になるような汎用性のツールを欲しい学生には、なかなかわかりづらい講義内容だろうが、調査をするなかで、あるいは学問一般をするなかで、自分のなかの上から目線に気づいて、学問のくだらなさみたいなことで思い悩んだ経験を持つ人には、琴線にふれるものがある講義である。
 被爆者研究、ホロコースト研究など、ゼミで盛んに取り上げられたモノグラフだけでなく、最近の研究成果も取り上げられていて興味深かった。本も利用するために切り取ったり、試し斬りにしたりせず、問いかけをし、対話をし、そこから本と自己の相互行為を丁寧に読みほどいていく。大学院時代、石田忠先生も交えてウェッブを読んだ時のことを思い出した。一回だけの読書会だったが、使える枠組みを引っ張り出してくる読み方とは違う、社会を見る眼を鍛え上げるような読書のあり方が朧気ながら見えた気がした。30年を経た授業では、ウェッブならウェッブの「失敗から学ぶ」、というような形で読みの勘所は簡明に表現されていた。
 ミルズの『社会学的想像力』も取り上げられた。石田ゼミで最初に読んだ本だそうだ。そして、私が濱谷正晴人生最初の講義(二年ゼミ)で購読した本でもある。この本について、最後の最後に何を語るかと思ったら、繰り返し出てくる言葉として、「substantive」があるという。長いことこの本を読んでいるが、この言葉はまったく気にとめたこともなかった。
 「歴史のなかに現れてくる現実的な諸問題」「構造的全体に関連している問題」「自分自身で選択した問題」という文言が書き抜いてある。今、ここ、私を照らし合わせあいながら、調査対象と向かい合う視座がここに示されているのではないかと思いつつも、私の思考は、ルカーチの具体的全体性だとか、あるいはミードの個の生の森羅万象的機能連関といった思想をとりとめもなく想起して、若干興奮をする。アドルノが生きていたら、絶賛するかもしれない、とか。昔なら、まんま発言して、先生を黙らしたところだなぁ、と苦笑した。
 実体化などということは、賢いポジションからものを言いたい人には唾棄すべきことだろう。しかし、上記のようなミルズの読みと、抜き書きは、間違いなく調査で向かい合ってきたさまざまな人々の姿と重なるのだろうと思う。それを丹念に反芻し、読みほどき、具体化してゆけ、というようなメッセージは、武器と戦果を渇望する精神には苦いものかもしれない。しかし、こういう営みからしか明らかにできないものがあるんだろうし、またそこに惹かれて行く若者たちも決して少なくないと思う。というより、増えてきているようにも思う。
 授業の最後は、『グアテマラ虐殺の記録』をとりあげて、「アニマードレス」という言葉が紹介される。それは、授業の冒頭で言及された被爆者の写真が笑顔のものが多かった話とつながる。学生たちはどう聴いたのだろう。と思ったら、最初に学生たちの感想文が配られたことを思い出す。例の台風の日に受講した学生たちの書いたものだ。未読してみようと思う。