三浦展・原田曜平『情報病』

 卒論は今年は楽だが、他の用事が山積してへとへとだ。でも本のお礼は書かないと。とりあえず最初に拝受した三浦展氏のものを。そのあと難波さんの新著と有斐閣のテキストについて書きたい。
広告のクロノロジー―マスメディアの世紀を超えて―

広告のクロノロジー―マスメディアの世紀を超えて―

コミュニケーションの社会学 (有斐閣アルマ)

コミュニケーションの社会学 (有斐閣アルマ)

 三浦展氏よりご著作をまた送っていただいた。グローバル化、自由化にともなう格差社会の問題を、消費という観点からとらえる一連のシリーズの一冊である。不況は消費不況である。雇用劣化は消費劣化である。こうした独自の判断をさらに展開したものとなっている。
 最近のご著作は、マーケティングの専門家などと組んで、顧客のニーズに応えるような調査データを提示するというような趣向になっていた。今回のご著作は、早稲田大学の学性草男と立教大学の学生鉄子と両著者の対談というかたちになっている。話の拾いかた、まとめ方、回し方など、面白く、またまた新バージョン開拓か、という予感もある。
 アカデミックな統計調査専門家が、『下流社会』他に待ったをかけたのと同様、アカデミックな聞き取り調査専門家はこれを読んで、「読んではいけない」という人もいるのではないかと思う。対談をテキストマイニングし出したりしたら、けっこう笑えるけど、著者たちにも用意はあるだろう。まあただ、私が慣れ親しんできた調査論から刷れば、調査という相互行為の場の設定について、きちんとした資料批判がなされているかどうかが問題で、されていれば一定の尋問ですら、証拠能力をもったりするわけだし、まあこれもありだろうと思わないこともない。
 そんなご託は、とっくにお見通しですよ、といわんばかりに、帯には次のように書いてあった。「『下流社会』より5倍笑えます」(三浦展)。5倍は大げさだけど、何倍かはたしかに笑える。あとがきのタイトルは、「空気」を消費する時代、である。土井隆義さんのKY論なども視野に入れながら、空気消費というコピーまでひねり出してしまった。この辺の力量は、いろいろなことを補ってあまりある、というのが旧知の感想である。

内容

 物を買わない、異性に興味がない・・・・・・草食系と呼ばれ、まるで去勢されたかのように欲望を失った若者が増えている。その現状と原因を、「下流社会」の三浦展と新進気鋭のマーケッター原田曜平が解き明かす

目次

第一章 性欲が薄れて見えるのは情報化のせい  草食系VS肉食系
 年上女性でもOK
 デジタルな女しか抱けない
 耐えている男性
 ジェンダーフリーとレディファーストを使い分ける女子
 草食男子が増えたんで、女子がおいでおいでする
 女子の恋愛
 年上の男性とつきあいたい女子
 メール監視社会・友達村社会
 「合コン」じゃなくて「飲み会」と言う使いわけは?
 「リア充」はマイナスの意味
 奥さんは専業主婦がいい
 負け犬にはなりたくない
 女性には仕事とは違う幸せがあるんじゃないの?と思う
 別にパートとかでもいいです
 同い年の女の子とつきあうと疲れる


第二章 空気を読むから物欲が縮小してしまう
 クルマに憧れた世代、クルマを知らない世代
 バイトをして物を買ったことはない
 モノが消えて、うんちくもいらなくなった
 みんなが持っている物は持っておかないと
 「外交消費」で忙しく、一人になる時間がない
 低価格化時代に育ったから安い物を探しちゃう
 すべてがブランドになってストレスが生まれた
 常時接続でみんな共通の話題をつくりたがる
 まずいと思ったのに、まずいと書けないのは言論統制でしょ


第三章 論じたり語ったりするのはオカルト
 上司には、うまく言ってほしい
 子どもを何人つくるかで盛り上がる
 だよねコミュニケーション
 小林よしのり? 全然知らないです
 思想って崇拝ですよね?
 一生懸命書いたり、語ったりしちゃいけない
 足りないのはコミュニケーション力じゃなくて礼儀
 大学が女子化している
 20人友達がいると20通りのコミュニケーション
 みんな自由だよって教育しているのに、おとなになったら動けない
 自由だけど、それには努力が必要だよと教えてくれなきゃダメ
 仕事を考えさせるテレビが増えた
 自己肯定感を持ちにくい世代
 社会はよくなっているんですか
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=200909000084

 帯には、次のような文がつまみ出してあった。「現代の若者は、コミュニケーションの相手を選択できない、もう付き合わなくてもいい相手とも関係を切れない、オフにはできない。どんどん増える相手とコミュニケーションをせねばならず、そこに時間もエネルギーも割かれ、消費をする暇がないのだ」。机をならべて、欲望論としてウェーバーやデュルケムを読んだ日々のことを思いだした。