洋書の読み方について5 単語力

Next Wave

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 酒井邦秀『どうして英語が使えない』のなかに、「受験英語の栄光と悲惨」という章があって、『試験にでる英単語』と『基本英文700選』で大学には合格した―でも少しも英語ができるようにならなかった「あなた」へ、などと挑発的なことが書いてあり、特に後者はズタボロにこき下ろしていて、伊藤信者が読んだら怒るだろうな、と思うのだが、まあ書いてあることは、思い当たらないこともない。『修行』の500と比較して、ならんでいる文に魔味のようなものは感じないなぁ、とは思っていたから。これは著者たちにそれがないというのではなく、受講した同級生たちから漏れ聞いていた著者たちの魔性が本には感じられなかった・・・それも、酒井本に言われてみると、そういえば・・・というくらいの意味なんだが。
 で、シケ単のほうは、けっこう評価している。これは、私も同意で、出る順=やっただけ偏差値が上がる、訳語一つ=これだけで十分、という、ドラゴン桜や「例の方法」的な受験生不安心理のツボ突きまくりの歌舞伎まくりは、受験心理にしみ渡るということもあるんだが、その訳語一つには、英文を読むことを重ねてきた人の、野球で言う山かけ打法的なツボが書いてあって、それが一つの知のありようを集約した著者の魔味を凝縮しているということは、間違いのないところだろうと思う。
 トフルとか英検とかの単語集なんかをみると、なんか知らない単語とかがけっこうあったりして、糞だめだよなぁ、と、トホホな気分になることも多かったんだが、他方で、釈然としない気分もちょっと残ったりもした。なんか、やる気が出ないわけですよ。魔味がないというか。で、気づいたのは、次の記事を読んだとき。

東大英単

東大英単

 東京大学教養学部英語部会編著『東大英単』(東京大学出版会)が売れている。ビジネス街の書店では一時期品切れになるほどで、すでに3刷2万8000部。出版社も驚くヒット作になっている。
 「東大というタイトルに話題性があり、読者を刺激した」。編集に携わった能登路(のとじ)雅子教授(アメリカ文化史)は、売れている理由をそう分析する。「『英単』という言葉には昔のイメージもあり、それを越えたものというメッセージも込めました」
 タイトルには、東大の内部でも驚いた人も多かったようだ。ただ「中身の濃さで、だれもが納得してくれた」という。
 「東大の新入生の英語力をみていると、リスニング力やライティング力は伸びているが、リーディング力が落ちている」と菅原克也教授は話す。ただし、冒頭に書かれているとおり「これは受験参考書ではありません」。
 280語を学ぶことで語彙(ごい)力を強化し、総合的な英語力を豊かにすることを目的とした“お勉強本”だ。効果的な学習のために「例文が知的好奇心にこたえるものでなければいけない」などと、計6人の教授と准教授が議論しながら編集作業を行った。「自分自身の勉強にもなった」と、トム・ガリー准教授は話す。
 菅原教授は「学内では、売れていることよりも、ネコのキャラクターにヘソがあるのがおかしい、と話題になっています」と笑わせる。
 全国的に売れているそうで、読者層は40〜50代が中心。当然、続編も期待されるが、能登路教授は「少し休んでから」と話していた。(松垣透
http://sankei.jp.msn.com/culture/books/090421/bks0904210807000-n1.htm

 タイトルを見て、東大出版どうしたんだ、と思ったムキもあるんだろうが、鬼のように高額な定価をつけてシャラッとしているよりは、ウレセンで識見を示すのは、今の時代けっして悪いことじゃないだろうし、社会のニーズにも応えることになるだろう。ダウンロードサイトから、音声教材も手に入れられるっていうのもすごいよね。というのはともかく、「例文が知的好奇心にこたえるものでなければいけない」というのは、魂を揺さぶる指摘である。
 で、仕事も一区切りついて、これを入手してみてみた。単語力も会話力も作文力も何もない私で、学生たちにはてめーなんざトイク300もとれねーだろ、とかゆわれる始末で、でも読めるぜ、文法分解得意だぜ、英語の教員免許もってるぜ、などと言うと、行方昭夫本に話せないやつは読めてもいないとあるぜ、とか言われて萎え萎えになってしまったりしている私なんですが、でもでも、一応研究領域については外国文献のレビューもし、ちゃんと本を読み込んだりしているわけなんで、読めることは読めるとは思っているんでありますが、この単語集を開いてみて驚いたのは、ここにある単語はほとんど知っているということ。すみずみまで知っている知識だとは言わないけど、「読める」ってこういうことかもしれない、などとウキウキ気分になった。
 他方で、読み込んでみると、ある方向性にぐいぐいひっぱられるような感覚があるということもまた同時に言える。なんというか、表現欲求というか、運用というか、あるいはまた、行方本の「話せないやつは読めてもいない」をより明確に表現しているというか。大学院時代、まだ神経を病む前には、いつかは留学をしたいと思っていて、英英辞典だけを用いて、ノートは英語で、できれば文章形式で、という訓練をしていた時期もあるのだが、そんなフレッシュな気持ちがよみがえり、で、英文の論文とかも書いてみよう、などという気持ちになってくるカンジというか。
 今さら遅いとは思うんだが、教員としてもすごい刺激を受けた。私たちがすべき努力の余地は、鬼のようにあると思う。ボクらは、表現欲を喚起するような授業をして、さらにはテキストを創ってという点で、ぜんぜん努力が足りないのかもしれない、と反省させられた。