『現代訳 職業としての学問』

夢紡ぎ

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 2月に逝去された柴田寿子氏の遺稿が出版されるのと前後して、三浦展氏がウェーバーの翻訳を出版された。ともに机をならべて勉強した人々で、極私的には非常に感慨深いものがある。ご恵与いただき、感謝申し上げる。柴田氏の著作についてはジュンク堂で立ち読みをしたが、書店に注文済みで、届いたらみてみようと思っている。
 三浦氏とは、別の諏訪功先生のゼミでも机をならべて勉強していた。テキスト指定してある本は、歴史言語学みたいな本なのだが、大学院受験者や好事家が集まって、ゼミジャックし、グリムの妙な本とか、シュニッツラーのただれた小説とか、ショーペンハウエルの小品とか、フランクフルト学派の新著とか、やりたい放題で、その過程で読んだのが、渡辺金一校注の『職業としての学問』であることは、以前にも述べた。

[現代訳]職業としての学問

[現代訳]職業としての学問

姜 尚中さん絶賛!
「あの『下流社会』の三浦さんが『職業としての学問』を訳されると聞いたとき、僕は驚き、同時に爽快な気持ちになりました。今、ウェーバーを三浦さんがやることに意味がある。この本は、万単位の読者を獲得するロングセラーになると思います」


三浦 展 「訳者あとがき」より──
 『学問』を、当時のドイツの文脈ではなく、現在の日本の文脈の中で訳すことができるとしたら、専門的な学問研究とは無縁の一般のビジネスマン、特に若いビジネスマンや、大学生、高校生などにも“今の自分の人生の問題”として読むことができる翻訳ができるとしたら、そこに私が訳す意味が生まれるのではないかと思った。もしウェーバーが今の日本に生きていて、現在の社会、大学、若者等の状況について講演をしたら、一体どんな話をしただろうかという想像を働かせながら訳すことができれば面白いのではないかと考えたのである。

著者 マックス・ウェーバー 紹介より

 ウェーバーの青年時代に、ドイツ帝国は世界第二位の工業国へと高度成長を遂げた。だが、イギリス、フランスとの対立は、1914年の第一次世界大戦開戦へとつながり、ドイツの敗北をもたらした。ウェーバーが『職業としての学問』の講演を行った1917年は、政治も、経済も、社会も、過去の成功体験がまったく役に立たなくなった混沌の時代の中で、新しい生き方を求める若者たちに向けて行われたものである。

【目 次】

著者略歴
職業としての学問
特別対談 姜 尚中×三浦 展
訳者あとがき
年表◎マックス・ウェーバーとその時代
http://www.president.co.jp/book/item/321/1915-4/

 三浦氏は、ウェーバーの宗教社会学で進学も考えていた人で、今は予備校教師をしているE氏などと、読書会をしたことなどは、今回の訳書のあとがきを見て、思いだした。ゾームの著作などにも遡及しながら、カリスマの類型論を構想していた人である。スケールの大きい構想力が、いまだに印象的で、そのような研究者が育たてられなかった大学院には、大きな問題を感じると同時に、そのような心ないまでの辛辣さが、社会思想史の伝統をつくってきたこともまたたしかなのだろう。三浦氏が、プロリンの訳を編集者に勧められて、無理だと答えたことが書いてあるが、E氏のことなどを思い出せば、十分理由のあることだと思う。
 で、訳書なのだが、これはすごい狙いで、職業としての学問は「若者論としても読める」というのがモチーフなのだ。ページをめくると、いきなりプレカリアートなどということばが目にとまり、それがプロレタリアートと対比されているという妙味は、恐れ入りましたの一言である。他にも、訳語は歌舞伎まくっている。
橋本治が、きっちりと50代の仕事をしたのと同じように、三浦氏もまた新しい途をみつけたというべきか。そして、これは三浦氏のオトシマエの書であると思う。共通の師である佐藤毅氏が、三浦氏はアカデミズムよりもう少し別の場所で活躍する人だ、と話していたようだ。これは、先輩の市川孝一氏から聞いた話。宮田登大塚英志に言ったのと似た感じもするエピソードだ。
 カンサンジュンとの対談が添えてあるのも、やるモンだなぁと思う。というか、腰巻きというか、帯はカンサンジュンの怒アップで、これは編集者のお手柄でしょう。でも、カンサンジュンも企画を評価していることは間違いないだろう。
 こうなると興味は、言うまでもなく、マックスウェーバーの犯罪に怒りを爆発させた碩学がこれをどうとらえるかだ。自主講座では、若者論を展開していたとも言えるだろう。しかし、こっちであまり議論するんじゃなく、もう少し別の展開を私は密かに期待している。