堤清二・三浦展『無印ニッポン』

 大学に来たら、三浦展氏より本が届いていた。いつもすみませんです。本当にありがとうございました。
 包みを開けて、思わず「ktkr」とシャウトした。ついに、やっちまったなぁ、みたいな。つまりは、「元上司」、西武百貨店グループの総帥、文学シャッチョさんと対談、ということになっているからだ。中堅のバリバリの社員と、オーナーシャッチョさんの関係はわからなかった。でも、私は三浦氏を「堤の部下」だと思っていたし、ともに渋谷や池袋の街づくりをしていたのだと思っていた。でもそうじゃなかったらしい。シャッチョさんのあとがきを読むと、『下流社会』を読むまでは、三浦氏のことを知らなかったという。これにはちょっと驚いた。
 三浦展とは大学院で机をならべて切磋琢磨する予定だった。しかし、彼はパルコに就職した。インテリアなどを扱っている、などと風の噂に聞いたりしていたが、その後、『アクロス』誌を舞台に「おいしい生活」を具現するような企画を連発し、東京の街づくりに貢献した。また、同誌は一つの梁山泊として、多くの人材を育てたことでも知られる。他方で、堤清二氏が中心となって、さまざまな文化的な経営が試みられ、のちにいろいろな見直しがなされることになったとはいえ、渋谷や池袋の街が変貌を遂げたことは、一定の歴史的な意味があったことだけはたしかだろう。
下流と下層はどう違うか?」、「消費社会を牽引した自分が何故『消費社会批判』を書いたか?」。堤清二氏が書いたあとがきは明晰な問いかけで問題を提示している。

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)

無印ニッポン―20世紀消費社会の終焉 (中公新書)

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帯より

 「無欲な消費」が日本を変えてゆく。


 T型フォードの発売からリーマン・ショックまで100年。自動車の世紀だった20世紀が終わり、消費文化は大きな曲がり角を迎えている。大流通グループ「セゾン」を牽引し、無印良品を生み出した堤と、地域と文化の衰退を憂慮する三浦が、消費の未来、日本の将来を語る。「これがいい」のではなく、「これでいい」という「無印」の思想は、企業主導ではない個人主体の生き方を勧めるものである。本当の消費者主権とは。


 地域、個人、コミュニティの復興をめぐる熱論から、来るべき消費社会の姿が見えてくる。

目次

1 アメリカ型大衆消費社会の終わり
 1−1 自動車の世紀が100年で終わる
 1−2 派遣切り
 1−3 メディアへの懸念
2 戦後日本とアメリ
 2−1 アメリカ体験
 2−2 地元への愛着
 2−3 百貨店とファストフード
3 無印ニッポン
 3−1 無印良品は反体制商品
 3−2 ユニクロ無印良品
 3−3 セゾンと女性とフリーター
 3−4 都市・建築・生活
4 日本のこれから
 4−1 何が失われたか
 4−2 シンプル族と最大公約数的な情報
 4−3 日本の経営再考
 4−4 地方再建のために
あとがき

 見田宗介による『現代社会の理論』(岩波新書)のプロジェクトの欲望肯定は、すくなからずの人を失望させたと思う。「裏切られた」ということばすら聞いた。しかし、それは加藤典洋のジコチュー論などとも響きあい、重要な動向を生み出したことも否定できないと思う。このプロジェクトと、<SEIBU>の活動は連動していた。
 三浦展堤清二は、ともに革新的なエートスを根底に持っているのはたしかである。その2人が、いろいろな生きる試行を重ねながら、なんというか・・・ポルポト的な禁欲という方向ではなく、健啖な消費のかたち、消費の倫理、消費の美学として、実践、制作活動をした2人が語り合う、ひとつの「敗北」のオトシマエは、味わい深いものがある。