『「卒業」Part2』再考 

 「卒業」Part2 が出たときに、ここにあれこれ書いたら、白夜書房のなかの人からメイルをいただいた。なんかここから本が出せたら、かっちょよすぎるよな、とか思った。出版助成金とかどこかでとって、ここに頼んだら、などと夢想したが、問題は書く内容がたいしたものが思い浮かばないと言うことだ。老後のことが心配になったら、バカな文章でも書いて、儲けちゃおうかな、とか思っても、教室ならシュルシュル出てくるギャグたちも、「読者」を前にするとまったく書けないんだよね。というか、それをそこそこウケてきいてくれ、コメントペーパーに心地よいことばを書いて出す学生たちは、マジ怖いと思う。w
 最近さかんにされている50年代のラディカルと60年代の学生運動公民権運動、さらにはその後の「BMW二台もった人たちのボランタリズム」(某アーティスト)なんかを考えるとき、やっぱり「卒業」とかは、原点となる作品だろうなぁ、とあらためて思う。で、その「後日談」めかして書かれた、この著者のオトシマエの作品の原題は『Home School』というんだね。
 ウッドストックばかりが美化されて描かれるロケンロールだが、ビッグビジネスのうねりのなかでツアーの連続の間に曲作りというテンパッた状態のアーティストたちの多くは、酒やクスリに溺れて、死んじゃったりした。生き残り、生き続けたのがグレートフルデッドというのは、よく知られたネタだけど、このユニットとか、ジョニー・ミッチェルとか、民主的な椰子らも、ワイト島のコンサートでは「金の亡者」となじられた。それをみて、ジョン・バエズも「あのならず者ども」とか、怒りを炸裂させていた。
 それぞれの『いちご白書』を闘った若者たちは、警官隊にぶったたかれて、引っこ抜かれたあげく、野に下って、T・ヘイドゥンは、映画スターとケコーンして、議員になって、本を出しまくった。その本には、ポートヒューロン宣言関係ご一統の人たちが、なつかしいコメントを寄せている。もちろん、周到に、トムだとか、ボブだとか、そういうカジュアルな呼び方を、どうだとばかりにくり返している。まさにトム(笑)だわな。w
 拓郎に、あんたビックになり杉だよ、でも俺は加川良のほうが好きだよ、尊敬するのは断然そっち、今もどこかのライブハウスまわっているはずだよ、とかゆった千春は、ムネオと、北海道をどげんとせにゃあかん、とかやっているわけで、じゃあ、いせやとかで飲んだくれて、井の頭公園でプータローみたいなことしていて氏んじまったぢぢい、なんつったっけ、高田渡だっけ、そっちのほうは、晩年テレビに出ていたけど、まあこの人の場合、呑ましてくれたら出てもいいとか、味のある笑い顔うかべた感じはする。
でまあ、「BMW二台もった人たちのボランタリズム」なんてことを自嘲的に言う人もいて、でもでも、ノーテンキに民主主義(笑)している連中の面の皮は超合金、みたいな。そこいくと、『卒業』の著者であるチャールズ・ウェッブというのは、印税とかもらってなくて、あまり金とかない状態で、バスでトンヅラこいたあとのオトシマエをつけていたというのは、すごい話だと思う。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/southern_counties/4919334.stm
http://www.theage.com.au/articles/2007/06/21/1182019281821.html

「卒業」Part2

「卒業」Part2

「なかの人」のお言葉

 実はこの小説、
映画の続きを期待した読者(とくに映画関係者)を
当惑させようという著者のなみなみならぬ意図が込められています。
その意図を*正しく*読み取ってしまうと、
どうにも評価に困ってしまうという曰くつきの作品です。


日本に限って言えば、「卒業」を観て感動した人は
60年代までの「良きアメリカ」に憧れを持ったと思われます。
ところが今回の続編は舞台が70年代に設定されていて、表層だけ読むと
ヒッピー・オカルト・カルト・フリーセックスといった変なアイテムが
てんこ盛りなのです(この中に原題である「ホームスクール」も入ります)。


とはいえ、作品自体はジョン・アーヴィング系統のアメリ現代文学として、
また「ベンとエレインの家に変な人々が集まってしまう」という設定の
シチュエーション・コメディとして精緻に作られていますので、
ああ、著者は「この小説を『あの映画の続き』にはさせないぞ」と
「The Graduate Industry」に向かって叩きつけているんだなあ、
と念頭に置きつつお読みいただければ幸いです。

ウィキペディアの紹介

Home School
In April 2006 it was reported that Webb had written a sequel to The Graduate, entitled Home School, but refused to publish it in its entirety because of a copyright loophole. When he sold the film rights to The Graduate in the 1960s, Webb also surrendered the film rights to any sequels. If he were to publish Home School, Canal+, the French media company that now owns the rights to The Graduate, would be able to adapt it for the screen without his permission. [9]
Extracts of Home School were printed in The Times on May 2, 2006. [10] Webb also told the newspaper that there was a possibility he would find a publisher for the full text, provided he could retrieve the film rights using French intellectual property law.[11]
At the same time as this news broke, Webb and his wife were also widely reported to be in such financial hardship that they were facing eviction from their home, owing rent of some £1,600 [12]. Webb said to The Times that although his writing had proceeded, "the selling [of his books] hasn't" because he spends most of his time caring for Fred[13], who has been clinically depressed since suffering a nervous breakdown in 2001. [14]
In May 2006, however, The Times reported [15] that Webb had signed a publishing deal for Home School with Random House which would enable him to clear almost all his debts and instruct the French lawyers to attempt to retrieve his rights. On 27 May 2007 The Sunday Telegraph published a story [16] that the novel was to be published in June 2007 and reported Webb having moved to Eastbourne.
Home School was published by Hutchinson in June 2007. ISBN 978-0-09-179565-8, and by St. Martin's Press, January 2008, ISBN 9780312376307.
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Webb#Home_School

 本をめくってみると、書き出しから、超合金な人だとまったく意識しないはずの「世間の眼」との「せめぎ合い」のようなものを横溢させて生きているカップルの姿が描かれている。60年代みたいに、派手に闘ったり、行進したり、トンヅラこいたりはしないわけだが、そういうことをやったオトシマエを、「家族」で引き受けつつ、この人たちは生きている。ギデンズの言うような「親密性」の意味あいみたいなものを想起させるような、日々の能作を生きている人々の姿を、地道とか、身近だとか、日々の実践だとか、いうことばで括るのは冒涜だろう、などと利いた風なことを言うと、ケッと笑われそうな、恐ろしい不器用さが見えてきて、重く苦い読後感である。生き方は不器用であるが、筆致はシュールなまでに才気走ったカンジがある。