ロハスの翻案:『シンプル族の反乱』

 けっこう昔のズボンとかも履けるようになってきたので、ユニクロで買えないかと思って見に行ったら、けっこうサイズがある。気分は、さようならサカゼン!、さようならグランバック!!みたいな感じだけど、たぶんグランバックのほうは、これからも利用するかもしれない。ユニクロでズボンを買ったけど、ちょっとやっぱりジーンズとしては頼りない。まあ、一本の値段が2〜3倍するヤツとユニクロを比べてはいけないのかもしれない。まあそれでも、1985年のユニクロと、今のユニクロはぜんぜん違う。昔のは、ギャグかというくらい色落ちしたり、すごい時代があった。今は、カジュアルだが、そこそこどこにでも着ていける。どこにでも、というのは私だけなのかもしれないが。w
 なんぞと考えていたら、三浦展氏より「シンプル族」という新しいコピーを冠した本が届いた。問題状況をきゃっちぃなことばで争点化して、じゃあどうするか?という手際は、鮮やかだし、読み手の欲しい数字もコンパクトに整理されている。そして、帯には、勝間和代大推薦!!ということで、「下流からシンプルへ」という革命の行方はいかに。

シンプル族の反乱

シンプル族の反乱

J-CAST会社ヲチより

モノが売れないと言われている中でも、売れているモノもある。クルマは売れないが自転車は売れる。デパートは売れないがユニクロは売れる。テレビは見ないがネットは見る。団塊ジュニアを中心とする、そのような購買傾向を持つ層を、消費社会研究家の三浦展氏は「シンプル族」と名づけている。

買い換えを促す「企業側の論理」はもう通用しない

日本に今、新しい消費者が増大している。「シンプル族」という名の消費者である。旧来型の企業はこのシンプル族の増大を恐れている。


・・・シンプルな暮らしの魅力に気づいてしまったシンプル族は、たとえ今後景気が回復しても、もう浪費的な生活には戻らないだろう。だから、このシンプル族を理解しなければ、もう企業は生き残れないのだ。


実際は、企業はこのシンプル族がじわじわ増えてきていることに気がついている。消費者を集めてどんな商品が欲しいかとインタビューすれば、余計なデザインをするな、余計な色を付けるな、余計な機能を付けるな、ゴテゴテさせるな、何もしなくてもいい、普通がいいという声ばかりが聞こえてくるからである。


ではなぜそうした声に耳を傾けてシンプルな物を作ってこなかったかというと、シンプルな物だと高価格にできない。飽きのこないデザインだと買い換えてもらえないという企業側の論理のためである。もうひとつは、シンプルで飽きのこない普通のデザインのほうが、デザイナーのセンスの良し悪しが露呈される、難しいデザインだからである。それほどのセンスのあるデザイナーなら企業内にとどまらずに独立してしまうからである。


しかしもう猶予はない。いよいよシンプル族の時代がやってきたのだ。
三浦展著『シンプル族の反乱』KKベストセラーズ、3〜8頁より)


(会社ウォッチ編集部のひとこと)
副題は「モノを買わない消費者の登場」。シンプル族の生活原理は「物をあまり消費しない。ためない」「手仕事を重んじる」「基本的な生活を愛する」の3つで、自動車やテレビ離れもこの流れの一環という。著者は、いま企業の部課長クラスを務める1960年代生まれの「バブリー族」は、シンプル族の部下に乗り越えられるべき存在、と手厳しい。「すべてはリーマンショックが悪い」「インターネットが悪い」と問題解決の糸口をつかみあぐねている人に、新たな視点を与えてくれるかもしれない。
http://www.j-cast.com/kaisha/2009/07/10045030.html

 サブカルチャー社会学という観点からすると、サブカル消費みたいな議論があるような記がして、興味深かった。三浦展氏の基本的なラインとしては、ロハス、ボボスという路線だろうし、「大人の東京散歩」とか、「ちょいとちがう高円寺」みたいな感じで、「おいしい生活」という理念の行方を見据え、また消費の倫理学から、下流消費、それをもたらす下流雇用、下流企業の品格を問題にするという方向性なんだろうと思う。
 しかし、それだけでは解決策は見えてこない。売る方も売れなくて困っているようだ。だったら、もう少し歩み寄って、若者たちの生活スタイルというものを内在的に読み解き、そしてそこに胚胎されている消費の芽みたいなものを読みほどき、そこから販売=消費の戦略を考える、ということになっている。消費の倫理学という一本スジを通しつつ、シンプル消費に「なにか付けくわえるものはないか?」と問いかけている。今やっている比較文化の講義に照らして言えば、ロハスな消費のシンプルな翻案という感じになるだろうか。
 ちょっと見えないのは、身の丈にあった日本の楽しさを探究しようという議論なのか、それともここを起爆剤として新しい活性化の枠組を創れるという議論なのか、まだはっきりとは判じがたいということ。シンプルが自己増殖炉のように財を生むみたいなことまで見据えているとすれば、見田宗介の『現代社会の理論』、そこで対談に参加した新井満シンプルライフ論などともシンクロしてくるだろうし、すごい野心的な構想になると思った。