今年はほぼまとめて連休がとれるということで、感心に任せて本を読んでみることにした。本来ならば、読みたい本をグッとガマンして、主題を絞りに絞ってリストをつくり、一つずつつぶしてゆくという読書をしないと、仕事にならないのであるが、連休の場合は図書館その他が閉まっているので、趣味の世界に耽溺するための恰好のいいわけになる。とは言え、連休前になぜ仕込んでおかなかったか、とか、あるいはまたなぜフィールドに出かけないのかとか、反省すべきことはいくらでもある。ワカモンとロコモンなどなど、調査することはいくらでもあるんだが。
それでも、それなりに仕事っぽくないといかん、というワーカーホリックな気分があるのが、私たちの世代である。おりしも、勤務校の部局が国際社会学科ということになった。で、前期は国際社会に関するチェーンレクチャーを2回分、後期は半期ものの演習を担当する。で、まず読んだのが一連の佐藤優の本、というのはアレだという人もいるかもしれないが、この人の読み書きの芸はスゴイものがあると再確認した。イメージがくっきり浮かんでくる。ムネオの語り口などは、本人が語っているように聞こえる。国際関係なんて、ドメひっきぃな自分には関係ないと思っていたが、職人の世界として書かれると、別様にみえてくるから不思議だ。しかも、プラグマティズム、宗教、マルクスといった鍵となることについて、洞察力に富んだ話がなされている。ミード、デュルケム、ウェーバー、ヴェブレン、マルクス、ゴフマンなどを、時々めくりながら、あらかたの単行本を読み切った。ミルズがとり組んだ冷戦構造なんてものは、笑えるくらい東西対立(笑)になっちゃって、無意味化されているのは、にゃんともぬんともだ。
そこで読みたくなったのが、大澤真幸の『ナショナリズムの由来』である。背表紙が固くて鬼厚いので、それだけで読む気が失せるとすら言いたい感じもあるけど、最初のところをめくってみて、ずいぶんと読みやすいというか、前口上でトレースするための型として、イメージがいくつか提示されていて、そこの部分は、なんとなくわかった気になるし、買っておいたのだ。膨大な文献がならべてあるというのではなく、ゴミとゲージツ、<帝国>、現代物理学などイメージとして単純化され、クリアに示され、「アイロニカルな没入」という概念がサクッと示されていて、読みのオリエンテーションは完遂ってかんじになっている。
この人の本は、どれもそうだと思うんだが、言いたいことがクリアに示されていて、それが繰り返し説明され、展開されてゆく。運動方程式から力学体系が示され、熱力学から、さらに次の地平へ・・・みたいなイメージでとらえるのは、ちょっとずれているのかもしれないが、そんなふうに随所をトレースしてゆくと、読みやすくなることは、いくつかの本で感じていた。はっきり自覚したのは、松岡正剛のネットサイトでトレースということばと出会ってからである。それまでは、なんとなくいつ読んでも、『大論理学』の体系を茫漠と思い浮かべていたな、みたいに思っていたというくらい。『精神の現象学』だとか、カントのプロレゴーメナみたいなことばに意趣、意匠を求めているのかな、ということくらいだったから。
- 作者: 大澤真幸
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/06/29
- メディア: 単行本
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「誰かを深く愛せば、相対的に他の人には無関心となってしまう。それはナショナリズムと同様に『狭量』と言われることかもしれないが、多文化主義のように『すべての人を愛す』という方が、よほどうさんくさい。その両側を横断する何かを見つけ、制度としていくことが、これからの課題でしょう」
具体的にいえば、パキスタンやアフガニスタンで井戸を掘る医師、中村哲さんの活動が、つまり、日本人であるという意識を持ちながら、縁もゆかりもない人たちと共に汗を流すという偶然的な関係性を引き受ける生き方が、ヒントになるのではないかと考えている。「究極的な偶然を必然として受け入れる。それが、偏狭なナショナリズムを超えるきっかけになると思うんです」
(2007年11月7日 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20071107bk02.htm
前段の引用を見て、宮台真司の大澤批判を思い出したが、後段をみて一つの投げ返しを読んだような気になった。いろんな読み方ができる本だろうが、自分はできることをしていこうと決心した。具体的には、ミード、バーク、ミルズを読みながら、何かフィールドをまわることである。