佐藤優『自壊する帝国』

 コツコツととか、刻苦勉励とかゆうと、いかにもいかがわしい感じはするのだけれども、誰かが、特に若い人たちが、夢中になれるものを持っていて、ものごく楽しそうに打ち込んでいる姿を見ると、努力や根性や情熱などというやくざな括り方をする暇もなく、とても癒された気分になる。それが若者論に関心を持ったそもそものモチーフである。学生時代の調査実習でやった大学生の調査においても、「うちこむこと」が鍵語だった。もちろんそれは、そんなことができた時代ならではのことで、時代の制約があるとも言えるだろう。大学では、授業なんかでなくてもうちこむことがあればいい、と言って、笑って全員に優をつける先生が数多く、それが独特の授業文化となっていた。
 以来、研究面のみならず、読書の面で、「青春記」を読むことは、至上の娯楽になっている。北杜夫『どくとるマンボウ青春記』、小澤征爾『ボクの音楽武者修行』、佐伯一麦『ア・ルースボーイ』、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』などを、元気がなくなったときに読み、リフレッシュするのが習慣となっている。ただし、気分障害の人が読むと、帰って落ち込む原因になるかもしれないとは思うのであるが。

どくとるマンボウ青春記 (新潮文庫)

どくとるマンボウ青春記 (新潮文庫)

ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)

ボクの音楽武者修行 (新潮文庫)

ア・ルース・ボーイ (新潮文庫)

ア・ルース・ボーイ (新潮文庫)

若き数学者のアメリカ (新潮文庫)

若き数学者のアメリカ (新潮文庫)

 ここのところ何冊かまとめて、佐藤優のものを読んだのだが、そのなかでこれからも読み返すだろうと思うのが、『自壊する帝国』である。職人肌の官僚が、外国で夢中になって学び、仕事をしてゆく様子が、ソ連の崩壊と重ね合わせて語られている。古本屋をまわったり、モスクワの大学でもぐりのニセ学生をしたり、正課後の酒を交えた真剣ゼミで討論をしたり、といったことを、一敗地に塗れた著者が、力強く描き出している。
 かなりアクの強い本だし、なんか政治的にアレで読むには注意が必要という人もいるかもしれないし、またそんなものを読んでも学問とは関わりがないと言うアカデミシャンもいるとは思うのだが、キリスト教主義のリベラルアーツを標榜する大学で学ぶ人は、一度読んでみると良いのではないかと思った。神学部で大学院まで出た著者が、外交・諜報の実務に就く。そのなかで、専門技術を磨くと同時に、基礎となる教養的な知を深めてゆく姿には、強烈な刺激を感じた。
自壊する帝国 (新潮文庫)

自壊する帝国 (新潮文庫)

 聖書やコーランを読まないと、社会科学の本当のところはわからないといううんちくは、いろいろなところで耳にするし、そのことのリクツを書いた本はどこにでもあるのだが、そのことを誰にでもわかるようにリアルに描いた本というのは、本当に数が少ないように思う。国際関係や民族問題を勉強する場合だけではなく、コミュニケーションやメディアを勉強する上でも、宗教の問題はとても重要なことで、日本の近代化の過程でキリスト教教育が持った意義のようなことについても、あらためて確認したことも多いし、また新しく知ったことも多い。
 自分自身でキリスト教についてわかったようなことを言うつもりもさらさらないが、宗教的な知、教養的な知と、実践的な知、実用的な知の関わりについて、いろいろなヒントを得たような気もする。ただし、なにかしらの心棒を通すという知的営為は、国粋主義とは峻別される国家主義と密接に結びつく可能性があるということは、まあ言うまでもないことかもしれない。
ロシアは今日も荒れ模様

ロシアは今日も荒れ模様

 あわせて、著者と懇意だったという米原万里の著作もまとめ読みした。『ロシアは今日も荒れ模様』の冒頭にある銀細工が入れられた「年期もの」のボール箱の話には、ちょっとした感動を覚えた。連休中乱読しまくるのも一興だが、さすがにちょっと仕事をしないといけないので、ソ連崩壊後の地図などを楽しみ、ついでにアフリカと中米あたりの地図をチラ見して、この件は打ち止めにしようかと思う。