藤田真文他『プロセスが見えるメディア分析入門』

 辻泉さんと出会ったのは、日本社会学会の部会においてであるが、そのさいのやりとりでとりわけ印象に残っているのは、青少年研究や文化研究においても、文芸評論で言えば印象批評批判に当たるような仕事が必要であり、地域社会学、家族社会学、産業社会学に比肩するような実証的な方法を確立しなければならない、と力説されていたことである。それをやっている研究会として、青少年研究会をあげられ、自らもその会員として始動したとおっしゃっていたのも鮮明に記憶されている。
 80年前後から、同様な意識に基づき孤軍奮闘されていた新井克弥さんのお仕事などを思い出しつつ、問題意識に共感した。青少年研究会も辻さんも新井さんも手堅い成果を公刊されているのは、周知の通りである。辻さんは、他方で、さまざまな共同研究に加わり、テキストを多くつくられてきた。その一つ一つは、卒論の指導などにおいて、即戦力の本として重宝なものだった。
 そういう本は、最近いろいろ目につくようになってきた。先日いただいた伊藤守さんたちの本もそうだ。そして、もう一冊メディア分析の本が公刊された。Tジュネさんがブログで、「メディア分析の手続きがわかるというのがよさげ」とご紹介されていたので、注文しようと思っていたところ、大学に来てみたら、同書が届いていた。え!?と思ったら辻さんも執筆者の一人だった。私も非常によい本だと思う。それはなぜか??本書は、メディア分析の手続き、プロセスに、「分析の手の内」というルビをふっている。これだけでも、この本の狙いはよくわかる。

プロセスが見えるメディア分析入門―コンテンツから日常を問い直す

プロセスが見えるメディア分析入門―コンテンツから日常を問い直す

目次

■第1章 メディアを分析するということ(岡井崇之)
はじめに
1. 解題「プロセスが見えるメディア分析入門」
2. 本書の概要


■第2章 筋書きのないドラマの「語り」を探る(加藤徹郎)
― スポーツダイジェスト番組『熱闘甲子園』における物語論
はじめに:スポーツは本当に「筋書きのないドラマ」なのか
1. 研究対象の選択
2. 社会学/メディア論的に「甲子園野球」はいかに論じられてきたか
3. 事例分析:何を調べ,どこを見て,どう論じるか
4. 分析のまとめと考察


■第3章 「笑い」と「涙」の生産と流通(水島久光)
― 情報バラエティの感情経済学
はじめに
1. 対象と分析課題:「スタジオ」空間の形成史
2. 分析の手順
3. 視点を定める:「感情資本主義」という仮説
4. 分析の実際:「情報バラエティ」という照準
5. 究極の事例:『24時間テレビ』と「総バラエティ化」


■第4章 美容整形バラエティのミクロ社会学(岡井崇之)
― 『ビューティー・コロシアム』から考えるメディアと身体
はじめに:バラエティを語ること,分析すること
1. 「問題意識」を意識化する:美と健康の現代
2. テーマを固める:文献講読によるブレインストーミング
3. 分析方法をデザインする:バラエティをとらえる方法
4. マクロな分析を行う:物語としての番組構成
5. ミクロな分析を行う:映像のマルチモーダルな特徴
6. 考察をまとめ,新たな研究につなげる:身体表象とメディア/社会


■第5章 エスニシティの表象と「外国人」イメージ(日吉昭彦)
― CMの世界の人口統計学
はじめに
1. 分析方法について知る:メディアの「内容分析」
2. テーマを固める:エスニシティとイメージの研究系譜
3. 事例を分析する:テレビCMのなかの「外国人」登場人物像の内容分析
4. 分析結果をまとめる
5. テーマを考察する


■第6章 テレビドラマの社会史(藤田真文)
― 1970年代の若者像を探る
はじめに
1. 分析方法について知る:テレビドラマの社会史とは
2. テーマを固める:「若者像」の系譜
3. 事例を分析する:『俺たちの旅
4. 分析結果をまとめる:『俺たちの旅』の若者像
5. テーマを考察する:1970年代の若者像とは


■第7章 「視聴者の反応」を分析する(西田善行)
― インターネットから見るオーディエンス論
はじめに
1. 分析方法について知る:インターネットを分析する
2. テーマを固める:テレビはどのように見られているのか
3. 事例を分析する:ドラマ『西遊記』についての書き込みの計量的分析
4. 分析結果をまとめる:インターネット掲示板における「視聴者」の言葉
5. テーマを考察する:視聴の快楽と共同性


■第8章 〈女子高生〉はなぜブームになったのか?(辻 泉)
― 週刊誌記事のジェンダー
はじめに
1. テーマを固める:「性的記号」の系譜
2. 分析方法について知る:雑誌資料はどこにあるのか
3. 事例を分析する:〈女子高生ブーム〉に関する1990年代の週刊誌記事
4. 分析結果をまとめる:1990年代の週刊誌記事に描かれた〈女子高生〉
5. テーマを考察する:「性的記号」の変遷と現代社


文献案内


藤田 真文 編/岡井 崇之 編
定価2,415円(税込)
2009年 4月発行
A5判/228頁
ISBN978-4-7907-1405-7


スポーツ番組,バラエティ番組,CM,ドラマ,インターネットの掲示板,週刊誌など、現代の多様なメディアのメッセージを、自分で読み解くための実践的入門書。メディア・コンテンツの扱い方から理論まで、実際の授業に沿って丁寧に解説する
http://www.sekaishisosha.co.jp/cgi-bin/search.cgi?mode=display&style=full&code=1405

 メディアとか文化の問題は、うちのゼミに来る学生たちの一定数が禿げしく卒論テーマにしたがる。しかし、私はあまりいい顔をしない。「チャライ系」などとレイブリングをして、茶化す。社会学で、医学の内科、外科にあたるのは、地域、都市、産業、労働、家族などの基礎的な集団領域で、文化やメディアはまあ言ってみれば、泌尿器肛門科の類であるなどと言うこともある。一人の学生に、それは泌尿器肛門を舐めすぎ、と卓抜な返しをされたことも記憶に新しい。
 それはともかく、理論構成をして、キチッと調査をして、という手順で論文を書くには、難しい領域であることはたしかだろう。学問的な術語を使って、AKB48だ、ショコタンだ、なんだかんだ言うのは、テレを感じる。そして、それを卒論にして基礎的な集団領域を専攻する先生が副査について審査することを考えると、憂鬱な気分になる。過去にも、面接で「こんなものが・・・」などということばが聞こえたようなきがしたこともある。でも、学生にしてみたら、「あんたが本で書いたり、日記に書いたりしたのをみて、ゼミに入ったのにそりゃあねぇだろ」ということになる。
 こちらは面倒だから、「やりやすそうに見えても、芸と知識がいるんだYO」とかゆってごまかしたりするわけだが、最後はしょうがないからなんとかやらせるが、やっぱりな・・・と思うことも多い。この本は、それは無責任だ、という教師としての真摯な意識から出発している本だと思う。それが、「分析のプロセス」に「手の内」というルビをふらせる結果となったと思う。
 さらにこの本は、指導する大学教員のほうにも反省を迫っている。学生に、芸がないだとか言っているが、趣味に耽溺し、芸を磨いていないのは、教員の側も同じではないかと。先日の日記で、「すぐれた芸術は強靱にして俊鋭な境界線をもつ、といったのはブレイクである。この公理を頭において、原始芸術を、ないしはいわゆる『民芸』なるものを眺めてみるがよい。境界線とはたんなる線を意味しているのではない。それは生活との境界線である。特殊児童の絵や民芸は生活の才能であり、生活の悦楽であり、それゆえけっして芸術ではないのである。」という福田こーそんのことばを紹介した。この考え方が正しいとは思わないが、ここに重ねると本書のもう一つの意義が浮かび上がる。プロ意識、意識的なとり組みに欠けた、趣味の世界におぼれているような研究者のやっているのは、学問とは言えない、というシビアな指摘をこの本は含んでいると思う。
 さっそくゼミで採りあげてみようと思う。末筆になりますが、貴重な成果をありがとうございました。恐縮するとともに、こころよりお礼申し上げます。