立川志らく『雨ン中の、らくだ』

 17日は卒業式でした。天候は晴れで、よいお式だったと思います。午後の大学院生の卒業お茶会に顔を出して、あとは泳いでから、本屋をひやかしました。そういえば落語ブームと思いつき、売り場にいってぶっ飛んだのは、『赤めだか』の腰巻きに10万部突破というロゴが踊っていたこと。
 題名といい、表紙デザインといい、主題提示といい、話のハコビの速度感といい、まさに、読み始めたら止まらない、というカンジで、著者の力量、そして編集者の力量というものが感じられましたので、もっと売れても不思議じゃないと思っていました。最初から人生の最果てのギャンブルのひとつである競艇がらみの逝ってよしなエピソードからはじまっていて、いきなり志ん朝は上手いけど、談志のほうがすごいと思った、と言いきっている。志ん朝の高座を聴いて上手いねぇ、とか言って出てくる奴はいる。でも、談志の高座みたいにトンビにさらわれたような目つきになって出てくるのはいない。だから談志はすごい、と。
 その『赤めだか』の横に、志らくの本が平積みになっていました。さっそく購入して読みました。あっちが『赤めだか』なら、こっちは『青めだか』などと最初からかましてかいてあるものの、なんとなく、ちょっと知識や見識、理論などが若干五月蠅い感じもしました。しかし、『赤めだか』には、落語の話がまったく書いてない、という師匠のことばを引きつつ、師匠の落語を語ると宣言してある。読み進めるうちに圓生志ん生志ん朝と談志、談春と自分などを比較しながら、師匠の落語を語るという趣向がズバッと出されていて、落語を創るということが、じっくり描かれていることがわかると、雑味もまた妙味に思えてくるようになりました。筆致も、味わい深く思われます。ただやはり、読み始めて止まらなくなるのに、若干の忍耐が必要に思われたのは、もしかすると編集者の力量(の違い)の問題かもしれません。「雨ン中の、らくだ」という点のうちかたもナンクリだとか、掛札悠子の著作などを思い出させ、いささか「っぽいだけ」みたいな印象もぬぐい去れません。力量といって悪ければ、スタイルや美学の違いというか、力の質の違いというか。あるいは高田文夫的な筆致と、私の好きな字面の異同なのかもとも思いました。
 それはともかく、読み進めるとたしかに一つ一つの噺をモチーフに落語が語られていて、刺激的であり、もちろん今さらにわか落語ファンを気どるつもりもさらさらないのですが、学問で仕事をする場合などにも応用可能な施策が喚起されました。落語の創造と学問の創造を重ねて味読すると、いろいろな洞察が得られるように思われました。

雨ン中の、らくだ

雨ン中の、らくだ

目次

「落語とは何か」という師匠・立川談志の問いを引き受けるべく、立川志らくが渾身の書き下ろし!!落語をめぐる、壮絶なる師弟の物語。

松曳き
粗忽長屋
鉄拐
二人旅
らくだ
お化け長屋
居残り佐平次
短命
黄金餅
富久
堀の内
三軒茶屋
やかん
天災
よかちょろ
源平盛衰記
金玉医者
芝浜

太田出版紹介

志らくによる談志。
壮絶なる師弟の物語。


 人気落語家・立川志らくが、師匠である立川談志を、談志落語の代表作ともいえる十八席を軸に、あますことなく活写。
 「落語とは何か」「落語家はどうあるべきか」という談志の問いを自らに引き受けるべく書き下ろした、立川志らく渾身の一冊です!!


「落語の面白さを知り、談志に惚れ、落語を覚え、挫折し、天狗になり、苦悩し、時には落語をナメ、落語に飽き、しかし落語の凄さに驚愕し、実に密度の濃い落語家人生を歩んできました。そして、誰よりも談志の落語をちゃんと見てきたという自信があるので、この本を書くことができたのだと思います」(志らく


題字:立川談志/装画:山本容子
http://www.ohtabooks.com/publish/2009/02/19000000.html

 『赤めだか』を読んで、この『青めだか』を読むと、挑発的に書かれているところが、いくつも眼につきます。『赤めだか』の著者も黙ってはいられないでしょう。こういう信頼感があることについて、某ブログでBL的というコメントがついていて、まあそれは言いすぎにしても、言いたいことはわかるような気がいたしました。
 落語ブームをめぐる商魂たくましい仕掛けのなかで、師匠ときょうだい弟子とあと小さんの孫なんかも絡めた構図は、映画やドラマになったり、あるいはいろんなメディアミックスになったり、さまざまな場が形成されたりと、新しい枠組を生み出してきたし、これからも何かを生み出すかもしれないとの期待もあります。