木本玲一『グローバリゼーションと音楽文化』

 大学に出勤したら、木本玲一さんの『グローバリゼーションと音楽文化――日本のラップ・ミュージック』が届いていた。面識のない方なので、挟まっているしおりをみてみたら、出版社名になっている。この本は、「音楽文化の現在」という双書のひとつで、双書の編者とも言うべきが、ポピュラー音楽学会でリーダーシップを発揮され、私も多大なご厚情をたまわっている東谷護さんである。よって、東谷さんがお気遣いいただき、送っていただいたのかな、とも思われた。まだめくったばかりであるが、覚え書き程度にはなにかを書いておきたいと思う。

グローバリゼーションと音楽文化―日本のラップ・ミュージック (双書 音楽文化の現在)

グローバリゼーションと音楽文化―日本のラップ・ミュージック (双書 音楽文化の現在)

内容

 日本におけるラップ・ミュージックの生産過程の分析を通じ、文化のグローバル化/ローカル化の過程と、定着した外来文化が独自の発展を遂げる、その動態を描写する。アフリカ系アメリカ人というエスニック・マイノリティから誕生し、そのローカル性に強く規定された「ラップ」。この外来音楽文化は、どのようにして日本に流入・定着し、独自の市場と自律的価値をもつにいたったのか。「ラップ」の生産過程に着目し、グローバル化/ローカル化の過程で外来文化が独自文化に昇華されていく過程を克明に描く。

目次

序章 なぜラップに注目するのか
 1 文化のグローバル化/ローカル化
 2 なぜラップに注目するのか
 3 日本のラップ
 4 ラップの生産
 5 本書の構成

第1章 ローカルなラップをいかにとらえるか
 1 「ゲットー」から
 2 ラップの日本への流入
 3 ポピュラー音楽としてのラップ──文化的真正性と商業性
 4 ローカルなラップの位置

第2章 ローカル化の欲望
 1 サウンド──「日本らしい」音への志向
 2 言語──日本語で「レペゼン」する
 3 <イデオロギー>──実践の意味づけ
 4 ローカル化の欲望の意味

第3章 ラップの自明化とローカルな実践
      ──あるラップ・グループの音楽実践を事例として
 1 一九九〇年代後期以降
 2 グループ結成
 3 音楽的志向
 4 練習、レコーディング
 5 ライブ
 6 「本場」の弱化とローカルな実践

第4章 ラップ実践と人的ネットワーク
      ──二つのグループの実践を事例として
 1 ラップ実践と人的ネットワーク
 2 風神
 3 キカイダー
 4 人的ネットワークとクラブ
 5 ローカルなラップを媒介する人的ネットワーク

第5章 ラップとレコード産業
     ──レコード会社におけるラップの販売戦略を事例として
 1 レコード産業と日本のラップ
 2 ラップを手がける
 3 アーティストの選別
 4 専門誌、店頭における宣伝活動
 5 ストリート・プロモーション、ストリート・マーケティング
 6 ディストリビューション
 7 ローカルなラップ市場

第6章 ローカルなラップを媒介する企業活動
     ──ラップ・イベントにおける企業スポンサーの事例から
 1 企業スポンサーという販促活動
 2 販促活動におけるヒップホップの位置
 3 イベントの選別
 4 イベント、ブレイクビーツにおけるスポンサー業務
 5 ローカルなラップ実践を媒介する企業活動

終章 ラップの自律化・自明化、そしてその先
 1 日本のラップにおける認識論的・実体論的ローカル性
 2 自律化・自明化という傾向──ロックのローカル化過程を補助線として
 3 「日本文化」は異種混淆的なのか
 4 自律化・自明化と支配的個別性
 5 グローバルな力学、新たなローカル化の契機

注 あとがき
参考文献
人名索引
事項索引

http://thistle.est.co.jp/booksearch2/details.aspx?isbn=ISBN978-4-326-69862-2

 この本の特徴は、内容紹介にもあるように、聞き取り調査を行い、「メディエーション」という観点から、ラップ音楽の生産過程を分析したことなのだろう。個人的には、まず第一に、グローバル/ローカルという動態について、一定の新しい知見を提起していることが興味深かった。
 めくりながらひとつ思いだしたのが、U字工事の漫才について分析した卒論の面接である。「田舎イメージ」論としてかかれたその卒論には、吉幾三なども引用されていた。副査の先生が、吉幾三はなぜ元祖日本のラップを標榜しているのか?なぜラップなのか?ラップっぽいだけなのか?では、U字工事は田舎をバカにしているのか? 吉幾三はどうか?「セン引きをする構造」をめぐるスタイル、作品性のようなものを意識されての質問だったかと思う。執筆者は「ネタの構造」のみに限局して論を提示していたきらいがあり、指導した私も、虚を突かれた感じだったが、それは文化研究の定石的な分析であると言えるのかもしれない。
 これに対して、著者は異なるスタンスからの分析を提示しているように思った。そこでもう一つ思いだしたのが、遠藤薫先生たちのグループが『グローバル化と文化変容』について報告をした時のことである。報告者の一人が、次の文章を引用していて、印象に残った。私も同じ部分を別所で引用させていただいた。

 「大戦後の世界では,ヨーロッパに代わってアメリカがもっとも大きな影響力をもつようになる.しかしながら,上流/中流階級の歴史が浅いアメリカでは,深いところから階級の再生産を規定するような,安定した<趣味>は存在しない.むしろ,アメリカが,ヨーロッパに対して新たな優位性を誇示しようとするならば,ヨーロッパとは異なるアメリカの正統性の根拠を,『開拓者魂』すなわち周縁の,中心に対する優位性に求めざるをえない.<趣味>は,規定の秩序の中にではなく,カオスのエッジにあると規定するのが,アメリカ主義なのである.・・・アメリカ国外の国々の文化もまた,アメリカ的なローカライズを施された上で,グローバルな<流行>として再びアメリカから送り出されていくのが,今日の状況なのである.かつての<流行>がトリクルダウンするものであるとすれば,今日のそれはトリクルアップするかのように観察される」(遠藤薫グローバル化と文化変容』 p.p.120-121).

 私の『サブカルチャー社会学』は、ここでいう「トリクルアップ」について、「サブのメイン化」「メインのサブ化」として考え、「サブの文化性」についてやや安易に称揚したきらいがあった。長谷正人氏に『ソシオロジ』の書評でこの点ご指摘いただき、放置してあったのだが、長谷氏が事実発見的に指摘した内容を、グローバリゼーション、アメリカナイゼーションといったことばで、クールに理論化した論を上の引用部に読み取ることができた。
 著者と遠藤先生たちのグループのと関係は判然としないが、「ローカル化の欲望」「ローカルな実践」について、調査に基づいて、けっして文化研究的な誇張をするのではなく、冷静に分析している書物ではないかと拝察した。
 だからこそ、問題を音楽産業との関わりにも配意し、説得的に考察することもできたのではないかと思われた。これが第二に興味を持った点である。その結果、文化研究がややもすると、別様のセン引きを行う結果となってしまうことなどとは少し異なる成果を提起していると思う。「売れること」は、サム・フィリップスやアラン・フリード以来、ロック音楽やポピュラー音楽で問題になってきた論点であろう。
 第三に「ハイブリディティ」という論点についても、無内容にそれを称揚するのではなく、一定の内容的な知見、ファクトファインディングスや理論の萌芽を提示しているように思われたことが興味深かった。自律化、自明化、支配的な個別性という概念の抽象性については、一定の批判が成立するかもしれないが、それはこの著者のかのうせいでもあるだろう。
 とかく流行の思想用語や思想家の名前を連ねて、その考え方をあてはめるだけの研究になってしまいがちの領域において、対象内在的に実証的な議論を積み重ねているところは、学術的成果として価値あるものであると考える。それは、ポピュラー音楽のアカデミックな研究を志すポピュラー音楽学会の精神を具現するものであるのだろう。
 あくまでもめくっただけの段階の三百代言だが、これから熟読していろいろ勉強させていただきたいと思った。ありがとうございました。