三浦展『非モテ!:男性受難の時代』

 三浦展氏から、また本を送っていただいた。毎度恐縮するとともに、お礼申し上げたい。ありがとうございました。「男性受難時代」というコピー自体は、三浦氏や私の先輩スジにあたる市川孝一さんが『現代のエスプリ』で特集号を編集されたこともある。そのときネタにされていたのは、<オヤジ>であって、お父さんのパンツは分けて洗う=ワケパン、お父さんのパンツは箸でつまんで洗う=ハシパンなどということから、賞味期限切れの牛乳はお父さんに飲ませ、お父さんが風呂にはいるとお湯を取り替え、家族団らんにお父さんが帰宅するとシーンとする、といったふうなことが「受難」と呼ばれていた。その後、“kogal”は世界を席巻し、<オヤジ>食いにあきたらなくなり、どう猛に食い散らかす生き物と化した。馬路かよ!?

非モテ!―男性受難の時代 (文春新書)

非モテ!―男性受難の時代 (文春新書)

内容紹介

若者(男性)世代では「容姿」が格差意識の原因となりつつある。「プレゼン力」「人間力」重視の果てにある「容姿決定社会」の実態とは


「見た目」の重要性がさけばれる昨今ですが、秋葉原殺人事件の犯人はネットに、自分が「不細工」で「彼女がいない」ことの絶望感を執拗に書き込んでいました。これに注目したのが『下流社会』の三浦展さん。三浦さんは、容姿やモテへのこだわりは彼だけの問題ではないと指摘します。若者への意識調査から、男性の間で「容姿が悪いと人生に希望が持てない」ほどの容姿重視傾向があることがわかったのです。なぜ男が外見を気にするようになったのか。そこに問題はないのか。行き過ぎた「見た目」重視現象に警鐘を鳴らします。(SK)
http://www.bunshun.jp/book_db/6/60/68/9784166606863.shtml

目次

第1章 「非モテ」男が絶望する社会
第2章 モテと容姿の格差社会
第3章 どんな男女がモテるのか?
第4章 モテない男は「正社員力」がないのか?
第5章 なぜモテと性格がこれほど重要になったのか?
第6章 女が男を選ぶ時代―雑誌「an・an」から見た変化
第7章 「男性保護法」のすすめ
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%8EO%89Y%81@%93W/list.html

 消費の倫理学にまた新しい切り口が加わった。そして、ことが「モテ」であるからして、多くの注目を集めている。ブログを検索したら、相当多くの人が、書評を書いていた。
著名ブログのなかにもこれを取りあげているものがあり、そして、珍しく絶賛というような勢いである。

あの極東ブログに詳細な書評が

こういうとイヤミみたいだけど三浦展の本や対談集や解説はどれを読んでも、はぁ?ネタ?とか思うくらいで特段に面白いということはなかったし、なんというのか年齢は私と一歳違いで同世代感はあるのだけど、自分なんかとは基本的に全然違う資質の人かなと思っていたが、そしてただの暇つぶしに買った本だったのだけど、「非モテ! ― 男性受難の時代 (文春新書)」(参照)は面白かった。
 というか、三浦にとても親近感すらわいた。ぞろぞろと本を出す人だし、この本も企画本というか他のライターを混ぜ、おそらく資料作成は別の人に依頼して編集的に作ったのではないかと想像するけど、意外と三浦展という今の人を逆に描いている感じがした。そこも面白かったというべきなんだろう。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/02/post-a578.html

 やはり極東ブログさんも、「モテ」というと、一言ゆっておきたいということなのか。「親近感すらわいた」という感想が引き出せたことは、三浦氏の執筆活動にとって新境地となるかもしれない。三浦氏は、こう言われて困る人でもないだろう。まあ、たぶん、困らせようと思って書いたとは思わないんだが。w
 ところで、極東ブログさんや三浦展氏、そしてアテクシの時代においても、「モテ」というものはあったし、「容貌エリート」というものはあった。私自身、嫌な数々の思い出が蘇る。w 私自身は、きわめて前向きに、モテナイというのは、性愛について、一点の曇りもなく自慰的に、人を道具としてしか見られない状態、と定義し、生きてゆくぞと思ったわけだけれど、なんとか生きてこられたのは、それを根拠づけるなにかがあったからかもしれない。先日亡くなった柴田寿子さん(三浦氏とは共通の哲学のゼミで、私と三浦氏がよく話すようになったのもこのゼミでいっしょになってからである)が、「あんたは理解してもらうのに時間がかかるタイプだから」ということと、「努力しないと絶対理解されないから」と貴重な助言をいただいたのも懐かしい。私は、けっこう貧しかったし、モテなかった――というより、「顔顔顔・・・」「でぶでぶでぶ・・・」状況だった――が、おそらくたぶんリア充だったし、友人に恵まれ、孤独ではなかった。
 この本のミソは、下流社会論にひっかけたところはもちろんあるのだけれども、そのころのモテと、もう一つのモテを峻別した上で、その二つに絡め取られている「顔顔顔顔顔顔」な人についてパシュッと斬っていることかなと思う。最後の章で、「男性保護法」でもつくったら、というのは、「センを引く」ということについて、問題の原因をえぐり出す実践になっているのだろうと思う。
 女子大教師をしていると、「肉食」と言われている言動も、また別様に見えてこないこともない。いろいろ話を聞いていると、こいつらもけっこう一生懸命生きているんだな、というか、同じ人間なんだよな、と思うことはしばしばある。こんなことが、もっと若い頃にわかっていれば、人生はまた違うものになったかなと思う。