久々の休講と卒論提出

 本当に久しぶりに成城大学の講義を休講をしてしまった。学生諸君のなかでここをみてくれている人もいるようだ。本当に申し訳ない。私は講義評価はあまりよくないのだが、休講が少ないという項目があった場合それだけは高い評価をいただくことが多い。38℃くらいの熱なら、インフルエンザでなければ講義する。そんな私が、なぜ休講かと言えば、卒論指導がテンパっていたからだ。というか、今日の大学は各研究室に学生が来ていて、先生方がみんな走り回っている。私はこういうエマージェンシーな状況は非常に萌えるものがあり、他ゼミの製本なども手伝ったりして、はりきって仕事をした。おかげさまで多くの人が無事提出した。卒論提出最終日は月曜なのだが、一秒でも遅れたら留年なので、最近はその日は予備日と考える傾向がある。よって今日が実質的な最終日だったのだ。
 そうは言っても、今年は印刷をほとんどが研究室でやるなど例年になく退行していたようにも見えるのだが、しかし実質一文字も添削しなかったと言い得るのもけっこうある。主題もすべて面白いものだった。毎年毎年ゼミの人数分カードボックスをつくって、シャッフルして発想を組み立てるやりとりをしている感じ。それを授業で話したりしているうちに、練れてきて、自分の仕事になって行く。どん欲に自分が勉強することだけを考える。こちらの興味を正確に読み、役に立つ読書をし、役に立つノートや抜き書きをつくったときだけ、応分の恩恵を与える。この辺の呼吸がわかるようになる人が、けっこう増えてきた。こちらの研究のツボをわかってくると、やりとりも円滑になる。
 しかし、教師として、どんな論文も面白いと思うには、それなりの修練も必要じゃないかと思う。そんなときに、教養部で教えていてよかったと思う。私がいたころの岡山大学という大学は、専門学部に社会学がなかった大学なのだ。教育学部社会学の先生はいることはいたが、社会科教育の教室だから、完全な専門の学生がいるわけではない。要するに、専門として社会学をやるつもりのない連中が、社会学の講義を受ける。その答案を面白がり、研究会をしたりすることを、私は先輩の藤森俊輔先生から教わった。先生は50なかばになっても、専門の学生たちを集めて勉強会をし、調査を行っていた。なかなかできることではない。たとえば、現在、岡山での調査に参加する人間以外はゼミをとるなと言ったら、ほとんどゼミ生がいなくなってしまうような気がする。それはともかく、教養部の教員は、他の専門をやることに決まっている学生たちのなかにある関心の萌芽のようなものを血眼になって探していたとも言える。地方のサブカルチャーとか、高齢者のサブカルチャーとか、障害者のサブカルチャーとか、つまりはなにもないように思われていたところにかっこよさが芽吹いているのを見ようとする、虚しい、ある意味偽善的ですらある視点にこだわり続けているのも、その辺に理由があるのかもしれない。
 依頼心、依存心、甘え、虚栄心、媚び、へつらい、不良気どり、さかしら、忠犬気どり・・・などといった具象的なイメージで、個々の論文を見ると、砂糖のように甘い味わいに、たしかに吐き気がするようにしゃびぃにみえなくもないのだが、そうした贅肉をそぎ落として、論文を抽象画のようにしてながめた場合に、ハッとするような作品性が含まれているように感じることもある。きれい事を言っているわけではない。初期のオバQやアトムのテレビアニメをみて、クールだポップだインだと礼賛される今日のアニメーションのありようを思い浮かべることは難しいわけだが、若い制作者たちの情熱はそれを胚胎していたことはたしかだろう。
 多くの向学心は、卒論の完成時に、ヒュン、と一瞬の輝きをみせるが、瞬間最大風速のようなものであり、やがて萎えてしまう。その一瞬のヒュン、を厳格に育てていけないなら、くだらないものと捨ててしまったほうがマシかもしれない。うちのゼミ生は、くだらなさだけはわかっていると言うのはあまりにひいき目のようで、ちっぽけな自尊心の上にあぐらをかいているのをみかけることもある。その表情に対して、心からの尊敬を込めて、憎しみと軽蔑を表明できるようであったら、どんなにゼミは楽しいだろうと思うが、そんな機会はさほど多くない。しかし、今年はそういう意味ではなかなか楽しい1年だった。なかには「オマエモナー」というアイコンタクトを散見することも、しばしばあった。