生活史研究会と井泉の豚カツ

 麺僧の塩ラーメンが美味いと言ったら、食べに行ったのがいたが、野菜など入っていなかったと言う。塩ラーメンといっても、私が食べているのは野菜たっぷりというやつだけで、ほかのは食べていない。なぜかと言えば、チャーシューというのは人の好みによって異様なまでに違うと思うからだ。私は横浜のカリッと焼いて、ジューシーなのが好きなのだが、まわりが赤くてキモイという人もいる。それで思い出したが、今週ははやしまるに行っていない。
 今日は大正大学で生活史研究会だった。KOのA先生の貴重なご報告を聴けたことも収穫だったが、生活史研究会に最初に出たときにA先生が報告されたD論予稿の完成稿を手に取って拝見できたのは貴重な機会だったと思う。どちらも出版の予定もあるようであるが、出さないことの意味というものをシリアスに考え込んだ。用事があったので途中で失礼させていただいた。用事がすんだら、巣鴨の大衆食堂でメシを喰おうかと思ったが、戻るのも面倒なので、そのまま春日から、本郷近辺を散策した。考えてみると朝から松の実ひとつまみとミカン二個しか食べていないのに気がつく。だったら!と思い、井泉で豚カツを食べた。まあいいんじゃないかな。一日くらいは。と言うか、この一週間というもの、朝起きてから、夕方までなにも食べない日が続いているし・・・、そのわりに体重は変わらないけど・・・、などと思いつつ、久しぶりにのれんをくぐった。上野には珍しく、ケチャップはついてこない。w ポン太よりも、ほうらいやよりも店は混んでいる気がする。そして、なんとなく粋なおっちゃんとかが、黙ってカツを食っているカンジが、とてもツボだ。
 生活史として描かれた時代は、私たちの学生時代と重なり、自主講座、ニセ学生などのなつかしい風景を思い出した。報告集みたいなものも回覧され、それは手書きのガリ版(それともファックス?)刷りであった。紙はよれよれで、ところどころ破れかかってはいたが、ビニールで大切に保護されたものだった。そういうものをつくり、みんなで回覧し、討論すること。そういうものが勉強だよなぁ、と思った。と同時に、そういうことが自由にできたのは、時代の恩恵、経済がよかったことの恩寵だったのかもしれないと思わないこともない。つまり、学生運動とか好き勝手やっていても、多少ダブっていても、世間知らずでも、まあ一生勤められる仕事を得ることは、さほど難しいことではなかったように思う。
 途中でかえってきてしまったが、聞き取り調査をすることの困難、というような深刻な話題が語られはじめていた。社会調査をめぐる論争や、この研究会でのそれをめぐる議論さらには石田忠『反原爆』をめぐって学生時代に議論したことなどを思い浮かべていた。学生たちの胚胎された可能性を鑑賞するのも興味深いが、やはり最先端の議論を鑑賞するのも興味深い。
 さて、月曜日は卒論提出の最終日である。社会学科の学生は多くは金曜日までに出していると思うが、消息筋の情報によるとまだ出していないのがいるという。すべて完璧に出来ていても、製本して提出するのに二時間はみておくべきだ。まして、プリントアウトしていなかったら、三時間はみておくべきだ。さらに、まだ手を加えるというのなら、、朝一に学校に来るべきだ。記憶メモリも壊れるかもしれないから、メイルで送っておくべきだし、ワードのバージョンは落として記憶しておくべきだ。表紙、背表紙、提出用紙などのチェックリストをつくって、あわてず出す必要がある。震えて落として、ばらけたら、大変なことになるのだ。