羽淵一代編『どこか〈問題化〉される若者たち』

 大学に行ったら、羽淵一代さん編の本が届いていた。はたしてどなたが送って下さったか?辻大介さんと松谷創一郎さんは、マイミクであり、羽淵一代さんとは青少年研究会の例会みたいなので二度ほどご一緒した。いずれにしても、この研究会をベースにした非常にオーソドックスな調査研究の成果の一端がまた公刊されたというふうに解釈したい。オーソドックというのは、とかく印象批評にとどまりがちな文化研究において、社会学の経験的、実証的研究を積み重ね、研究を分節化し、一方で理論を整えつつ、他方で調査報告書などを着実に積み上げているからだ。「893な研究」が代名詞みたいになっていた領域における異色な成果とも言える。他方で、こうした実証的な研究の流れは、俗流若者論批判にみられるような興味深い評論的な成果とも、間接的には関わりがあるだろう。
 そうは言っても、かなりひねりのきいたタイトルになっている。もういい加減にしてくれと言いたくなるような、「・・・化」する若者論の氾濫をカッコで括ってしまったというわけだ。まず第一段として、若者言説をカッコで括り、第二段で、社会学的な若者言説をカッコで括っている。

どこか〈問題化〉される若者たち

どこか〈問題化〉される若者たち

内容

 「世界一幸せな若者」と言われながら、現代日本の若者が見せる現代社会への非適応的性格。そこには次代社会の創造性の芽があるのでは?
 少年犯罪、ひきこもり、ニート、若者ホームレス等の現状の客観的把握、さらに、おたく・性・恋愛・美容整形といった彼らを取り巻く文化に社会学的考察を交え、若者の現代的な問題を実証的に分析。

目次

第1部 「若者の問題」の社会学的分析(少年犯罪をめぐる「まなざし」の変容―後期近代における;「ひきこもり」はなぜ問題なのか;ホームレス化する若者?;若者労働の現在―「正社員」=「自立」モデルを超えて)
 第2部 「若者文化」の社会学的問題化(ケータイは公共性の敵か―若者の親密な関係性をめぐる問題化の構図;“オタク問題”の四半世紀―“オタク”はどのように“問題視”されてきたのか;若者と「軽く」なる性;情熱的恋愛と規範的恋愛;ファッションと若者の現代像―「エロ」・「モテ」にみるアイデンティティ戦略;どうして美容整形をするのか)

ブログエントリーより

 この本は、浅野智彦編『検証・若者の変貌』(勁草書房)などを発表してきた、青少年研究会などのメンバー10人で執筆される本です(私も所属しています)。
 内容は、タイトル通り「若者の問題」とされている社会的事象について、分析・実証していくものです。そこで取り上げられるトピックは、ひきこもり、就労、ケータイ、性、恋愛、ファッション、美容整形で、僕は〈オタク〉を扱っています。
 僕が分析したのは、簡潔に言えば、問題視されてきた〈オタク〉の25年史です。83年に中森明夫さんが『漫画ブリッコ』誌上で〈オタク〉という語を使ってから、今年はちょうど25年目、四半世紀のスパンを検証しています。
 具体的にいえば、中森命名を起点に黎明期だった80年代、宮崎勤事件と宅八郎の登場によって一気に一般化した90年代前半、『エヴァ』人気・岡田斗司夫によってポジティブイメージに変わっていった90年代中期から後半、そして、「ひきこもり」や「非モテ」などに分化・多様化していった2000年代という流れを描いています。
 本論の観点は、あくまでも「〈問題視〉されてきた〈オタク〉という存在」なので、アニメやマンガ、ゲーム、あるいは「萌え」など〈オタク〉文化や児童ポルノ法などについては、深く言及していません。新聞記事や雑誌、テレビなどのメディア報道で、〈オタク〉はどのように〈問題視〉されてきたかを検証しています。
http://d.hatena.ne.jp/TRiCKFiSH/20081104/p1

すぐれた成果として認めつつも、あえて率直な気持ちというか、一つの疑問を提起すれば、理由はわからないが、とかく実証研究というのは、味読するには「かったるい」面がある。と言って悪ければ、中野卓の倉敷コンビナート開発の生活史研究や、見田宗介の「まなざしの地獄」を読んだときのようなワクワク感がない。アンケート調査というものはそういうものだということは、わかっているつもりだ。また、大澤真幸が「まなざしの地獄」の解説で書いているような統計データの詩的読解というような要素がないのは、禁欲の結果なのだとも思う。しかし、ないものねだりを承知でいえば、実証的なことにとどまらずに、この辺のアポリアに凶暴に挑戦してもらえないもんかなぁ、と思う。アテクシにはとっても無理なことだけど、この人たちなら可能だと思うから。ちょっと無責任な暴言、放言であることは、もちろんわかっている。言い回しがストンとこないのは、見田萌え世代のおぢいのたわごとにすぎないのかもしれないけどね。
 ただ、藤村正之氏の新著などを読み、抑制のきいた筆致の味わいを再確認して、文章に向かうと、独特な味わいがいくつかの論考からは、感じられたりもした。まあたしかに大仰に歌舞伎まくって、どうだ!と言わんばかりにキメる論調は、ガツン、ストン、ワクワクしても、いささか品格にかけるものなのかもしれない。その点で、この本は淡麗辛口の味わいがある本であるような気もした。