隅谷三喜男『大学でなにを学ぶか』

 今日は非常勤の日。成城学園でポピュラー文化論をやり、そのあと池袋で文化の社会学をやっている。前者はサブカルチャー論の各論的説明、後者は日本の社会心理史のようなこと。前者は人数もメッチャ多くて、ちょっと騒がしい感じもするが、ところどころにくせ者がいて、なかなか面白い。後者は、金曜五限を登録して出てきているわけで、非常に熱心な感じの人が多い。
 あいだに一時間あるので、ジュンク堂で立ち読みをした。妙に喫茶店にはいらなくても、ここですごすとすぐ時間がたつ。まあ全盛期は、ほとんど一日横浜の有隣堂本店とかで立ち読みをして過ごしていた時期もあるわけで、脚の運動にもなるし、励行している。今日は新書売り場と文庫売り場で時間をすごした。今日は、たまたま手に取った隅谷三喜男『大学でなにを学ぶか』(岩波ジュニア新書)を読んだ。隅谷先生はうちの学長も勤められた人である。某小説のモデルとしても知られているらしい。引用されることの多い著作である。二つの例を示す。二つとも進学を前にした人たちにはそれなりに参考になる文章かと思う。

大学でなにを学ぶか (岩波ジュニア新書)

大学でなにを学ぶか (岩波ジュニア新書)

内容

 多くの若ものが大学に進むなかで,どの大学を選ぶか,大学でなにを学ぶか,学問を人生にどう生かすかが問われています.いま学長をつとめる著者が,大学の現状を正確にとらえたうえで,これらの切実な疑問に具体的に答えます.大学をめざす高校生,受験生をもつ父母,先生はもちろんのこと大学生にも役立つ現代の大学案内.

コルコルでの抜粋箇所

 「いまの大学ではほとんど忘れられてしまった、しかし大学で学ぶものにとって基本的に大切なことに、きみたちの視野を広げてもらいたいと思う。それは人生の問題である。第二次世界大戦の前には、青年期に哲学や文学の本を読み、人生について考えるのが、ふつうであった。それが戦後、人生のことは経済と科学・技術で、すべてかたがつくかのように考えられるようになった。技術は発展し、社会は豊かになったが、人間は空洞化してしまったのではないか。社会に出れば、そんなことを考える余裕はなくなるだろう。せめて、大学生活の間に、この問題は考えてもらいたい」(『大学でなにを学ぶか』岩波ジュニア選書)
http://www.yomiuri-mc.co.jp/shingaku/coll/html/top-contents/sp1.html

東京女子大学学会誌掲載論考での星野英一先生の抜粋箇所

 「きみたちが専門と定めたことを学ぶとともに、人間とは何であるか、人生とは何であるか、という問いについて考えてもらいたいと思う」
http://homepage2.nifty.com/ehoshino/eh/essay/menu4choice.html

 私が約一時間読んでいたのは、ひとつの文章である。それは、学問が“how to”を問うようになってしまったことを嘆いている箇所である。隅谷先生は、“what”“why”を問うことの重要性を説いている。アレントは、問いかけが“what”から“how”になったことを指摘し、ミルズは“why”から“how”になったことを指摘していることを思いだした。ハウツー→知の技術化→プラグマティズムの技術論と連想すると、なかなか玄妙である。まあ勉強している人にはあったりまえのことかもしれないが、私はほぇ~と感心し、哲学書の売り場に行って門脇俊介の論考をぺらぺらとめくり、考え込んでしまった。まあ、ハウとハウツーは違うと思うけど、教える者にもシビアな問いかけをしている本だなぁと思った。