大澤真幸編『アキハバラ発:への問い』

 大学院に入院した人たちの若者世界も、ご多分に漏れずディスポーザル化しているわけで、最近になってようやく、高齢者、留学生に続いて、「高学歴ワーキングプア」の学会費軽減がなされたことについて、ある若手からメイルをいただいた。「かつては部会数も少なくてあまり人もいなかったような気がする「階級・階層」部会が増えてるなぁと思いつつ、足元の社会学会そのものが今になってこういう措置が始まるという現状」と言われていたのが印象的だった。科研費も、非常勤だけの場合、ものすごく数をこなさないと申請資格がないという。出せるようになったのは知っていたが、ものすごく数をこなさないと・・・というのは正直知らなかった。
 ここ一週間ばかり本屋に通っていたのは、この本を買うためである。アキバの問題に関心があったということもあるが、どちらかというと副題に惹かれていた。戦後の社会心理史という課題を立てて、ここのところやってきたわけだし、見田宗介社会学入門』、大澤真幸『不可能性の時代』と読んできたからである。
 正直かなり意地の悪い眼で読んだ。かつての公害問題については、「外部性」といったような経済学の理論的な関心からのみ、問題ととりくんだ人がいるし、調査ゴロもたくさんいたからだ。研究することが、「ニート食い」「ワープア食い」にならないという保証はないし、むしろ磔のトドメの槍のようにならないともかぎらない。だから、紋切り型の批判語彙や、学問的リクツのあてはめなどは、むしろ眼にとげとげしく突き刺さったのだけれど、湯浅誠のドスのきいた争点整理まで読み進めるにいたり、素直に文章と向かい合えるようになっているのに気がついた。いい本だと思った。少なくとも、「ろくでもない本だ」と言って紋切り型の言説を組み立てようとするような、批評屋気どりのほうがよほど「ニート食い」になるんだろうと思えてくるだけの風格がこの本にはあると思う。阿部真大さんと三浦展氏の対談などを思い出しながら、一気に読み進めた。テキストにするかなぁ、などとも思いつつ、やるなら全員で分担して1回かなぁとか、いろいろ考えた。

アキハバラ発―〈00年代〉への問い

アキハバラ発―〈00年代〉への問い

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岩波書店紹介

 秋葉原でおきた殺傷事件.「犯行は許せないが犯人の心情に共感する」という同世代の声にどう向き合うか.非正規雇用の拡大やコミュニケーションの変容など〈00年代〉の社会状況に位置づけたとき,この事件は何を問うているか.大澤真幸森達也東浩紀平野啓一郎本田由紀斎藤環内田隆三ほか,第一線の論者の発言.

はじめにより

 個別の出来事が個別の出来事以上のものになることがある.直接には少数の人がかかわっただけの特異な出来事が,その特異性を維持したまま,その出来事が属する〈現在〉の全体を圧縮して代表することがある.日本の戦後史から例をとれば,連合赤軍事件がそのような出来事だったし,オウム真理教事件もそうであった.
 2008年6月8日の日曜日に,25歳の青年Kは,東京の秋葉原で,17人を次々と殺傷した.Kは,歩行者天国にトラックで突進し,すぐにトラックを降り,ダガーナイフを用いて,出会った人を無差別に刺したのだ.この事件もまた,おそらく,出来事以上の出来事,〈現在〉の全体を写し取る出来事のひとつになることだろう.
(中略)
秋葉原のこの事件のような「出来事以上の出来事」に立ち会った者は,そこに影を落としている〈現在〉とは何かを自覚にもたらし,その〈現在〉の輪郭を明確にすることを,まさにその〈現在〉の同時代人としての務めとすべきではないだろうか.この「出来事以上の出来事」が何であるかを,それがなぜ〈現在〉性を映し出すほどの共感や反感をもたらしているのかを,できうる限り対自化することは,〈現在〉の同時代人の――少しばかり大げさに言えば――人類に対する,あるいは歴史に対する義務である.
(本書「はじめに」より)

目次

はじめに 大澤真幸


 I
真夏の秋葉原を歩いて,
ここには本質など何もないと気づいた ……………………………… 森 達也
「排除」のベルトコンベアとしての派遣労働 ……………………… 竹信三恵子
孤独ということ――秋葉原事件を親子関係から考える ………………… 芹沢俊介
若者を匿名化する再帰的コミュニケーション ………………………… 斎藤 環
街路への権利を殺人者としてではなく
 民衆として要求しなければならない …………………………… 和田伸一郎
 コラム
追い詰められた末の怒りはどこへ向かうのか …………………… 雨宮処凛
K容疑者と生活困窮者の間 ……………………………………… 湯浅 誠


 II
◎インタビュー
「私的に公的であること」から
言論の場を再構築する …………………………………………… 東 浩紀
存在論的な不安からの逃走 ……………………………………… 土井隆義
 ――不本意な自分といかに向き合うか――
事件を語る現代――解釈と解釈ゲームの交錯から …………………… 佐藤俊樹
無差別の害意とは何か ………………………………………… 中西新太郎
極端現象か,場所の不安なのか …………………………………… 内田隆三
 ――秋葉原殺傷事件の社会学的前提を考える――
 コラム
劇場型犯罪の果て ………………………………………………… 速水健朗
主客再逆転の秘義 ………………………………………………… 永井 均


 III
世界の中心で神を呼ぶ――秋葉原事件をめぐって …………………… 大澤真幸
事件を「小さな物語」に封じ込めてはならない ……………………… 吉岡 忍
なぜKは「2ちゃんねる」ではなく
 「Mega-View」に書き込んだのか? ……………………………… 濱野智史
 ――2000年代のネット文化の変遷と臨界点をめぐって――
孤独であることの二つの位相 ……………………………………… 浅野智彦
 コラム
この20年で私たちが学んだこと …………………………………… 伊藤 剛
〈この手の事件〉のたび私が思う漠然としたこと ………………… 岡田利規


 IV
◎座談会
〈承認〉を渇望する時代の中で ………… 大澤真幸平野啓一郎本田由紀
 執筆者紹介
http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/0220470/top.html

 有機水銀を垂れ流す方が、防止施設をつくるよりよほど儲かる。独占禁止などとぬるいこといわずに、独占企業をつくれば儲かる。人身売買をして、奴隷を使えば儲かる。でも、そんなことはしてはいけないことになっている。すると法律に引っかかる。信用を失う。だから今の企業はそんなことはしない。見田宗介ぢゃないけれど、「都会はスマートに殺す」(「まなざしの地獄」)。二酸化炭素枠を達成するのに最も現実的な方法は、枠を買うことと、工場を外国に移すことらしい。資源を食い尽くし、再生不能なくらい環境を破壊しながら、サルマス状態になっているのは、ちょっと企業の品格に欠けるのではないか、と言えば、たぶんたちまちスマートな解決法が案出されるのでは・・・とも限らないかな・・・高齢者対策などをみていると万策尽きてデリカシーを欠いた地雷踏みまくり状況だし。ただまあ、いちおう日雇い派遣はやめない、みたいにはなっている。でも、そんなうまくはいかんだろう。そこでCの出番ですよ、という言説には、耳を傾けたいと思う。妥協点を、少しでもマシなものにする拠点をつくることができるかもしれないから。しかし、よく考えると立ちすくむ。「マシ」というのは、全世界の「より弱者」の血みどろの上になりたっているものだから。そんな誠実ぶった自己弁護をするより、目の前の一人、現実的な局地戦のロジック、ヘゲモニーの獲得、といったリクツなんだろうか。昔なんべんもきいたし、浅田彰が、百万べんのNOだとかゆっちゃっているし、終わることも終わってるとかまでゆっちゃってるし、あーあ、みたいな。冒頭の話に戻るが、大学院まで行く金持ちが何を言いやがルと思う人もいるんだろうし、だいたいが私なんぞは、もっと何も言えない。言えないから、若者はあまり論じたくない。w でもなんか、少しだけ対話できることがあるかもしれないなぁ、と思わないでもなかった、というようなほんのわずかな何かを、この本で得られたような気にはなっている。