油井大三郎『好戦の共和国 アメリカ』

 夏休みのあいだに大学がずいぶんきれいになった。庭の石畳仕様だけかと思ったら、トイレがぴかぴかになっていたり、本館二階にあった非常勤講師室が地下にうつって、なかなか豪華なものになっていたり。トイレのぴかぴかについては、あくまでも水回りの整備が優先であって、というような丁寧な説明があった。しかし、私はトイレを豪華にすることは非常に大事なことだと考えている。というのも、大学チェックポイントなんて記事があって、その重要ポイントにトイレのチェックがあるからだ。前に勤務していた大学では、一斉にきれいにしたという逸話もある。非常勤や研究会で他大にいっても、部外者に一番目につきやすい場所だ。と言いつつ、自宅の便所掃除は怠りがちになったりするのだが。 大学の郵便棚に岩波書店の封筒があった。なにかと思ったら、同僚の油井大三郎先生から岩波新書が届いていた。献本をしたので下さったのだと思うが、恐縮してしまった。ありがとうございます。まだめくった程度ですが、一応書けるだけ書いておきたいと思う。

好戦の共和国アメリカ―戦争の記憶をたどる (岩波新書)

好戦の共和国アメリカ―戦争の記憶をたどる (岩波新書)

岩波書店の紹介

アメリカ理解の鍵は、戦争にある!

 民主・共和両党の大統領候補者が確定したアメリカでは、11月の投票日にむけて議論が深まっているようです。その焦点の一つが、イラク戦争の評価にあることは言うまでもありません。諸外国からの強い批判を尻目に、武力行使に踏み切ったアメリカ政府に対しては、当時、7割以上のアメリカ人が支持を表明しました。このように時としてアメリカ社会は戦争へと前のめりになってしまいますが、それはなぜなのでしょうか。


 本書は、デモクラシーの先駆者を自負するアメリカが好戦的になってしまう「謎」に取り組んだものです。植民地期から21世紀にいたるまで、アメリカが経験してきた数々の戦争を歴史的に追いかけながら、その好戦性が何に根ざしているのかを考えていきます。通史的な構成になっていますが、本全体を通じて現在のアメリカへの強い問題意識が貫かれており、今年の大統領選挙を見る上でも、またアメリカの未来像を考える上でも、必読の一冊です。
(新書編集部 小田野耕明)

目次

 はじめに
第1章 独立への道―植民地戦争と独立戦争
 1 北米植民地の誕生
 2 激化する対先住民戦争
 3 頻発する植民地戦争
 4 辛勝の独立戦争
第2章 対欧「孤立」と大陸内「膨張」―第二次米英戦争アメリカ・メキシコ戦争
 1 憲法制定と第二次米英戦争
 2 アメリカ・メキシコ戦争
第3章 内戦の悲劇と海洋帝国化―南北戦争米西戦争
 1 南北戦争の勃発
 2 戦争の記憶と愛国的な和解
 3 米西戦争と海洋帝国化
第4章 新世界秩序の構築―二つの世界大戦
 1 第一次大戦―世界政治への参入と挫折
 2 戦間期アメリカのディレンマ―中立と反ファシズムの間
 3 「よい戦争」としての第二次大戦
第5章 「パクス・アメリカーナ」と局地戦争―朝鮮戦争ベトナム戦争
 1 朝鮮戦争―勝利感なき戦争
 2 ベトナム戦争―史上初の「敗戦」
第6章 ポスト冷戦下の民族・宗教紛争とアメリカ―湾岸戦争対テロ戦争
 1 米ソ冷戦の終結湾岸戦争
 2 「対テロ戦争」とアメリ
 3 2008年選挙と「対テロ戦争」の影
おわりに
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0809/sin_k431.html

 副題が「戦争の記憶をたどる」というのは、流行ものっぽいわけだが、そこに拘泥するようなことは先生の場合はあり得ず、端正な論が展開されている。こういう文章を読むことは、講義のやり方、論文の書き方というような本を何冊読むよりも参考になるように思った。最近おもしろい新書が少ないと言っていたが、これは40年くらい前にもっていっても、いい本と言われる本じゃないかと思う。おりしもミルズ論について、かなりやる気が出てきているので、じっくり学んでみたいと思う。
 同僚と言ったが、先生の前の前に勤めていた大学は私の母校で、修士論文の審査をしていただいた3人の先生のうちの一人が油井先生である。通常30分くらいの面接が一時間半以上フルボッコになったのは、今はなつかしい思い出である。
 油井先生は、本田創造先生の後任として母校に赴任された。『アメリカ黒人の歴史』の著者の後にどんな先生がくるかに、私たち学生は大きな関心をもっていた。経済史的な仕事をいくつかされた先生が赴任されるということを耳にした。事情通の先輩は、いずれ江口朴郎の学問を受け継ぐ人だと説明してくれた。世界史学とか、帝国主義論というような言葉が頭に浮かんだ。
 ともかくアメリカの専門家ということなので、修士論文でミルズの伝記について研究していた私は、史料研究をする際にずいぶんとアドバイスをいただいた。授業では、アメリカ史の概説をしていたのだが、整然とした語り口でありつつ、バルカンで資料収集をしているといった話がときおり差し挟まれていたのが印象的だった。歴史家の<眼>というのはこういうものなんだなぁ、と感心した覚えがある。
 (追記)2008/10/11 本日油井先生にお会いしてお礼申し上げたおり、本田先生の後任として赴任されたの傷害致死事件に遭遇して亡くなった辻内鏡人で、油井先生は新しく新設された現代社会の講座に赴任されたとご指摘いただいた。本田先生と油井先生は、一時期いっしょの職場に勤められていたとのことである。私たち学生のなかでは本田先生の学問を受け継ぐ人と考えられていたので、上記のような表現になった。そうした私の記憶は、それはそれで間違っていないと思う。夭折された辻内先生お仕事は、言うまでもなく重要なものである。私はその頃もう就職していたわけだが、その論考からは多くを学んだ。ヨーロッパの社会科学をより重視する傾向にあった社会学部にあって、一定の識見を持って「アメリカ」と関わる講座が拡充されたことは、アメリ社会学思想史をどうやって考えていったらよいかを模索していた人間には、アメリカ社会について考える<眼>のあり方を問題提起されているようにも感じられ、論考を読みながらいろいろ思索を行ったことは記憶に新しい。ホフスタッターのアメリカ、ラッシュのアメリカ、ジンのアメリカといったものに学びながら、ミルズ研究を構想し、そこからサブカルチャー研究に向かったことはゆえなきことではないと、あらためて思われた。(最新日記からコピペしました)