古井由吉『ロベルト・ムージル』

 今日は一限から講義、午後は会議。くたくたになったので、小平でメシでも喰って、歩いて帰ろうかと出かける。途中本屋によって、しばし立ち読みをする。と、古井由吉の新刊が出ていた。作家論ねぇ・・・と思って、手に取ったら、「現代の精神がたたずむ場所、異様にして不可解な、その名づけえぬトポスを、精密に記述する、精神による実験と文体の創造」という文章が目にはいる。「トポス」とあると、すぐに反応するのだ。

ロベルト・ムージル

ロベルト・ムージル

分析と解体,自閉と崩壊……現代精神の命運を20世紀初頭に予言し,新しい経験への突破を模索し続けた小説群.その作品による実験の意味を蘇らせるために,渾身の力で対話を試みる.未知の現実に向けた可能性感覚,方法としてのエッセイズム──独自の解釈と批評が,そのまま作家古井由吉の核心をも語っている.
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/00/9/0025920.html

 とりあえずめくってみると、書き出しがまたらしいというか、すごいことが書いてある。「新しい体験を描き出すこと、これが現代作家の欲求であり、また、存在の理由でもある。自分の現に住む世界の中で人間的に不可能だとされているものを、なおかつ人間的な体験として描いてみること、……そのような試みへの衝動に責められていない作家は、現代作家として評価されるべきでない。真に現代作家らしいものをあたえるのは、熱狂的にせよ、ひややかにせよ、体験の拡大への突破口をうかがう、あのほとんどエロティックな緊張である」。未定義にザックリ出されている文言の意味がなんなのか、読み進めたくなった。ウォーキングの時は手ぶらで出かける。本を買うと歩きにくくなる。でも結局買ってしまった。読み始めたら、明日一限があっても一気に読み切りそうな勢いである。どうしようか。日記に書けば、とりあえず読まないと思って書いているのだが・・・。
 月並みな紋切り型の語句で語るしかないわけだが、この執筆エネルギーの持続はまぢやべぇと思うよ。シビアに随想をくりひろげる緊張感に触れると、なんつぅか、不思議な癒しが得られるカンジがする。そんなあとで、たとえば自分に対しては砂糖のように鬼甘い卒論構想、草稿なんかをみると、ゲロゲロになる。おりしも明日は4年ゼミだ。よってやはり今日のところは読むのは諦めよう。w
 ウォーキングを諦めたのでもう一冊買った。竹西寛子の新刊である。今と古典世界を往還する作家として著名なことは言うまでもないだろう。しかし、『往還の記』などの著作は、古典の素養がゼロに近い私には、正直言って読むのがややキツイものがある。そんなわけで、愛読してきたのは『ひとつとや』(正続)などである。今回でたのは講演録である。

言葉を恃む

言葉を恃む

言葉によって生きることこそ,自分を知る手立てであり,自分の在り方を決めることである──.書くこと,語ることを通して自分を探してゆく,その恐ろしさと魅力.古典詩歌からはじまり,芭蕉与謝野晶子川端康成野上弥生子ら,言葉の先達との出会いと精神の交歓について語った,著者初めての講演録.
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/3/0228800.html

 岩波のHPにあった紹介文は、実に魅力的に「読んじゃいなよ」と語りかけてくる。「書くこと,語ることを通して自分を探してゆく,その恐ろしさと魅力」。これまた読みたいものがあるけど、どうせ尊大な私は、孤独感を深めるだけなんだろうと思うよ。w